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見参
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げんざん
ふりがな文庫
“
見参
(
げんざん
)” の例文
旧字:
見參
「なンでえ、きまり文句じゃねえか。ひとつその、魯智深て野郎のほうへ、
見参
(
げんざん
)
におよぼうじゃねえか。……いるかい、番屋の中に」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あの里の太夫というもの——京美人の粋といったようなものにも、おれだって
見参
(
げんざん
)
していないという限りはない。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
作右衛門
素捷
(
すばや
)
く走り戻って本陣に入り、首を大将の
見参
(
げんざん
)
に備え、ここに名生の城と申す敵城有って、先手の四人合戦仕った、と述べた。サアここである。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
と無類の大音声で
見参
(
げんざん
)
する。稚気をおびた嫌がらせにすぎないが、輿入れや息子の袴着祝などにやられると災難で、
大祓
(
おおはらい
)
ぐらいでは追いつかないことになる。
無月物語
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
不意の
見参
(
げんざん
)
といい、ことに
先刻
(
さっき
)
小間使を見てさえ低頭平身した
青年
(
わかもの
)
の、何とて本尊に対して恐入らざるべき。
三枚続
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
▼ もっと見る
さらに導かれて、大奥の貴婦人たちに異人のさまを
見参
(
げんざん
)
に入れるという習わしになっていた。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
されば、翁も心安う
見参
(
げんざん
)
に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得たのでござる。
道祖問答
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
おとなしい娘を手に入れることが出来るのかと心中
窃
(
ひそ
)
かに喜んだのだが、それ程物堅い親子が
揃
(
そろ
)
って来るとなると、松源での初対面はなんとなく壻が
岳父
(
しゅうと
)
に
見参
(
げんざん
)
すると云う風になりそうなので
雁
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
また内省ができるほどの心機転換の活作用に
見参
(
げんざん
)
しなかったならば——あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる
流転
(
るてん
)
と、あらゆる
漂泊
(
ひょうはく
)
と、
困憊
(
こんぱい
)
と、
懊悩
(
おうのう
)
と、
得喪
(
とくそう
)
と、利害とより得たこの経験と
坑夫
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
見参
(
げんざん
)
に入れんと
鬼桃太郎
(新字新仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
取り逃がした宇都宮公綱だ。東国一の
剛
(
ごう
)
公綱があらためて
見参
(
げんざん
)
を申しいれる。卑怯者と笑われたくなくば、名のりあえ。一騎と一騎の勝負をいたせ
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
江戸の土を踏んだ初めての
見参
(
げんざん
)
なのですが、さすがの白雲も、芸術家並みに頭の古いといわれるのを嫌がって、それでハイカラの傘を仕込んで来たと見るのは
僻目
(
ひがめ
)
で
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「にんまり、御一笑なされて——さらば家康にきょうは
見参
(
げんざん
)
の日か……と、すぐ馬上へ移られました」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伊勢の古市の町と、
駿河
(
するが
)
の国の三保の松原とで
篤
(
とく
)
と
見参
(
げんざん
)
したこの男をここでまた見ようとは、たしかに意外でありました。米友、宇治山田の米友という名前も、兵馬は記憶していました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
その転陣の先へ、設楽五郎左の子権之助が、敵将斎藤
玄基
(
げんき
)
の首をひッさげて来て彼の
見参
(
げんざん
)
に入れた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このやくざ者のことだから、この番附をたよりに、名所廻りでもする気になって、番附面の美しい人たちを
軒別
(
のきべつ
)
に歴訪して、
見参
(
げんざん
)
に
入
(
い
)
ってみたいというような野心を起さないとも限らない。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
親光は、
阿修羅
(
あしゅら
)
となり——逆賊尊氏にも
見参
(
げんざん
)
せん! 尊氏にも一ト太刀! ——とつづいて門へ駈け入ったが、たちまち大勢の白刃に囲まれ無残な死をとげてしまった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
健在でおられたら、ぜひとも
見参
(
げんざん
)
して行きたい。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
益
(
えき
)
ないことに
暇
(
ひま
)
とらずに、
汝
(
なんじ
)
も
早々
(
そうそう
)
、
北越
(
ほくえつ
)
へひきあげい。そして、
勝家
(
かついえ
)
とともに大軍をひきい、この
裾野
(
すその
)
へでなおしてきたおりには、またあらためて
見参
(
げんざん
)
するであろう。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
宮中から大塔ノ宮へ、不時のお招きというのも気がかりだが、初雪
見参
(
げんざん
)
のお催しなども珍しい。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「呂布なり、呂布なり。——曹操に会おう。敵将
袁紹
(
えんしょう
)
に
見参
(
げんざん
)
せん。——曹操は
何処
(
いずこ
)
にありや」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いかに
穴山入道
(
あなやまにゅうどう
)
はいずれにある。巽小文治が
見参
(
げんざん
)
、
卑劣者
(
ひれつもの
)
よ、いずれにまいったか」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「あいや鐘巻自斎! かく申す者は、小野忠雄の道場にて、
見参
(
げんざん
)
いたしたことのある重蔵の弟春日新九郎じゃ。かねて約束の二度目の試合を所望いたす、いざすぐこの場に於いて支度をいたせ」
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と老人は、孫の成胤をさしまねいて、頼朝の
見参
(
げんざん
)
に入れた。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それには及ばん。初雪
見参
(
げんざん
)
の
御遊
(
ぎょゆう
)
とは、近ごろ珍しい」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
武田伊那丸
(
たけだいなまる
)
これにあり、又八に
見参
(
げんざん
)
!」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「家康に会おう。家康、
見参
(
げんざん
)
っ——」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
盧俊儀
(
ろしゅんぎ
)
に
見参
(
げんざん
)
ッ。呉用はどこに?」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「曹操の旗下
許褚
(
きょちょ
)
、
見参
(
げんざん
)
」
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『内匠頭の家来ども
見参
(
げんざん
)
』
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「よい敵と見た。
見参
(
げんざん
)
」
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「賊首尊氏に
見参
(
げんざん
)
!」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“見参”の解説
見参(けんざん/げざん)とは目上の人に会うことである。現在は対面・面会の謙譲語として用いられる。ここでは日本史における臣従儀礼としての見参を中心に解説する。
(出典:Wikipedia)
見
常用漢字
小1
部首:⾒
7画
参
常用漢字
小4
部首:⼛
8画
“見”で始まる語句
見
見惚
見物
見出
見下
見上
見送
見透
見做
見当