累代るいだい)” の例文
(亀山は、関一政せきかずまさが、祖々累代るいだい所領の地。あわれ、私に下さるおつもりで、一政に返し賜われば、彼も私も、いかにうれしいかわかりませぬ)
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何をもってかあおい累代るいだい御恩寵ごおんちょうにこたえたてまつらんと……いえ、主人左近将監は、いつも口ぐせのようにそう申しております。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
特に北支は累代るいだいの大きな都の置かれた土地とて、そこに生れ育ち栄えた民藝はその種類において、特筆すべきものが非常に多いのであります。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
中には月輪つきのわ殿(九条兼実かねざね)の玉葉ぎょくよう八合、光明峯寺殿(同道家みちいえ)の玉蘂ぎょくずい七合などをはじめ、お家累代るいだいの御記録の類も数少いことではございませんでした。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、九原きゅうげんもと、板倉家累代るいだいの父祖にまみゆべきかんばせは、どこにもない。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
編笠一蓋あみがさいちがい累代るいだいの家から追い出したな! おのれ、そのうらみを、やわか、やわか、忘れようか!
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
累代るいだいの主従関係ではないのだが、一閑斎の時からの養育の恩を思えば自然則重に対しても敬愛の情を抱き、彼のために忠勤を励む心は、此の時まで他の家来たちと異なる所がないのであった。
興福寺は淡海たんかい公の御願、藤氏累代るいだいの寺なり。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
藤原氏累代るいだいの寺、興福寺は焼け落ちた。
それごらんなさい。呉と荊州とは、累代るいだいあだ。今それをも捨てて使者をよこしたのは、喪を弔うの使いではなく、実は虚実を
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中には月輪つきのわ殿(九条兼実かねざね)の玉葉ぎょくよう八合、光明峯寺殿(同道家みちいえ)の玉蘂ぎょくずい七合などをはじめ、お家累代るいだいの御記録の類も数少いことではございませんでした。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
または沖縄の累代るいだいの祖先を納める霊墓より立派な形相のを見たことがありませぬ。それは精霊の実在に対する、まざまざとした信仰の直接の現れなのです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「せめては日光様のお役にあいたち、あおい累代るいだいの御恩の万分の一にもむくいたいと、御主君一石飛騨守どのはなんとかして日光御造営奉行に任じられますようにと、日夜神仏に御祈願……」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
佐助は前に述べたごとく江州日野の産であって実家はやはり薬屋を営み彼の父も祖父も見習い時代に大阪に出て鵙屋に奉公をしたことがあるという鵙屋は実に佐助に取って累代るいだいの主家であった。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
平家こそは、源氏にとって、石にかじりついても屈しられない累代るいだいの仇敵ではないか。何のために源氏の兵は、きょうまで臥薪がしんしてきたのか?
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
累代るいだいの墓碑が南に面して日光をみながら今も建っているから、ここが始めから定住の地だった事が分る。その最初の頃作ったものを「古薩摩」と呼んで珍重する。
苗代川の黒物 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
お家累代るいだいの御記録としましては、後光明峰寺殿(一条家経いえつね)の愚暦ぐれき五合、後芬陀利花ふだらく院の玉英一合、成恩寺じょうおんじ殿(同経嗣つねつぐ)の荒暦こうりゃく六合、そのほか江次第ごうしだい二合、延喜式えんぎしき、日本紀、文徳実録
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
しかも、ここの伊吹山下は、累代るいだい佐々木の領土です。思うに、京よりお身を預かり下って、鎌倉どのの御命ぎょめいよんどころなく、この地で、ご生害を
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お家累代るいだいの御記録としましては、後光明峰寺殿(一条家経いえつね)の愚暦ぐれき五合、後芬陀利花ふだらく院の玉英一合、成恩寺じょうおんじ殿(同経嗣つねつぐ)の荒暦こうりゃく六合、そのほか江次第ごうしだい二合、延喜式えんぎしき、日本紀、文徳実録
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
そういう望みはって、むしろそちは僧侶になれ、学問をしておけ。柳生家の累代るいだい、戦に次ぐ戦に、代々何十名の戦死者があったか数も知れぬほどだ。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
累代るいだい、住み馴れた水分みくまりたちも、ゆうべの一すいをさいごに、いよいよ、今朝は立ち退くことになった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
累代るいだいの楠木家の当主が、遠い地方まで出張でばッて、しばしば土豪的な荒稼ぎをやった陣頭の旗である。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不養生とは何事だ。この艱苦は全軍すべてがしている艱苦だ。みな、累代るいだいの御恩にこたえんとする今日の戦いだわ。しかるに、やれ病気の、やれ国元の変事のと、浮腰を
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その小六は祖先累代るいだい、信長から一粒のあわだに喰わせてもらった覚えはない。——領主づらしておれに臨むなどは片腹いたい骨頂だ。帰れッ猿。慮外なまねすると、蹴殺すぞ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天子のみことのりを私して、みだりに朝威をかさに振舞うもの、すなわち廟堂びょうどう鼠賊そぞく、天下のゆるさざる逆臣である。われ、いやしくも、遠祖累代るいだい、漢室第一の直臣たり。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれの治績と撫民ぶみんの功は、一朝一夕のものではない。累代るいだい、地方のために、貢献して来たのだ。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家累代るいだい墳墓ふんぼまつった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
君も累代るいだい漢室のご恩をこうむった朝臣のひとりではないか。……どんな親密な仲であろうと、友への怒りは私怨である。君は、私怨のために大義を忘れるような人ではなかったはずだが
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
代々漢朝の臣であり、累代るいだいの朝廷に仕えてきた公卿だという理由だけで、たくさんな官人たちは車に盛られ、馬の背に乗せられ、まるで流民のように、許都から、鄴都ぎょうとへさし立てられた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この義明は、累代るいだい源氏の御家人と生れ、八十余歳まで生きのびたいあって、今、佐殿の旗挙げを見たうれしさ。……これで死んでもいい。落城の火の粉は、孫や子たちの出世の種蒔たねまきじゃ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高橋家は、累代るいだい、剣、槍、薙刀なぎなたの三法一如を唱えて、幕府の子弟に教授し、流風は地味であったが、武技そのものより士魂を尊んで、幕末の頽廃的たいはいてきな士風に、復古的な武士道教育を打ちこんでいた。
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光圀一代で成らねば、わが水藩すいはんの業として、世々よよ累代るいだいにわたっても
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われわれとて、累代るいだい、漢のろくんできた朝臣です
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)