管絃かんげん)” の例文
出づれば群臣伏し、退けば管絃かんげん迎え、欲して行われぬことなく、しかも年歯はこの春をもって、未だわずか二十七歳。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青い毛氈もうせんの上に左のとばりの影から現われたものはほこをもっていた。これも管絃かんげんを奏する人と同じく錦の袖無そでなしを着ていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こう云う皮膚は、雨にさらされ風に打たれつゝ馬背ばはいに日を暮らす武人のものでなく、深窓に育って詩歌しいか管絃かんげんの楽しみより外に知らない貴人のものである。
本年中はなお管絃かんげんもむせび泣きの声をたてるもののように思召されるお心から、そのことはなくて、詩歌を歌わせてお聞きになるくらいのことでとどめられた。
源氏物語:42 まぼろし (新字新仮名) / 紫式部(著)
茂太郎は、随意に、随所のものを利用して管絃かんげんをつくり、随意に鳴らすことを得意としています。洲崎すのさきの浜で、この蘆管をつくり、番所の庭で吹いていました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それが歌舞かぶ管絃かんげんわざに携わっていて、それをアソビと謂い、アソビもまた偶然に同じ「遊」の漢字をててべんじたので、どちらが元やら後には不明になったが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
夏草なつくさやつわものどもが、という芭蕉ばしょうの碑が古塚ふるづかの上に立って、そのうしろに藤原氏ふじわらし三代栄華の時、竜頭りゅうずの船をうかべ、管絃かんげんの袖をひるがえし、みめよき女たちがくれないはかまで渡った、朱欄干しゅらんかん
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
されば東洋人はあるいは風月にしたしみ、あるいは詩歌管絃かんげんたのしみに従いて、人生の憂苦をその時だけ忘れるをもって「慰め」と思っている。したがってなお低級なる「慰め」の道も起り得るのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
管絃かんげんがくを奏する者もあった。当日の賓客は男ばかりではこちたくてきょうが薄いというので、なにがしの女房たちや、なにがしの姫たちもみな華やかなよそおいを凝らして、その莚につらなっていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼もいわゆる詩歌管絃かんげん式な大名だいみょうの子ではありませんから、たとえ御指南番仕込みの剣法といえ、まあ武芸といえる程度のことくらいは心得ています。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
管絃かんげんの余韻、泉水のせせらぎ、果ては月卿雲客げっけいうんかくのほがらかな歓語のこえまでが耳の底にきこえてくるのであった。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
奏楽所などは大形おおぎょうに作ってはなくて、すぐに御前での管絃かんげんの合奏が始まった。御書所の役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろくけたころに楽器類が御前にそろった。
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
伎楽ぎがく管絃かんげんの興をそえる特種なおんなは、遠い以前からあったけれど、近ごろ、たて烏帽子えぼしに白い水干すいかんを着、さや巻の太刀たちなどさして、朗詠ろうえいをうたいながら
もとよりやんごとなき都の上﨟じやうらふにてましましければ、和歌管絃かんげんのみちにくらからず、丹花のくちびるふようのまゆたまをあざむくばかりにて、もろこしの楊貴妃ようきひ
およそ、宮苑きゅうえんや公卿の第宅では、管絃かんげんの音と歓酔のない夜はなかったが、地下人ちげびとのまた下僕たるこれらの人びとの中では、酒に会うことなど、まれであった。
それでいて絶えず杯に満を引いて、いくらでも酒をあおっている。管絃かんげんの合間々々に皆が催馬楽さいばらうたうのであるが、左大臣の声の美しさと節廻ふしまわしのうまさには、誰も及ぶ者がないように感ぜられる。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
木のまをもるかなたの灯は、上皇をめぐる公卿、僧正、女房たちの歌合わせのつどいでもあろうか。離宮の大殿おおどのに、管絃かんげんの音もなく、墨のような夜を、ただ雨が白い。
酒をあげて飲まんとするに管絃かんげんなし
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)