とく)” の例文
あの大築堤だいちくていを前提とする水攻めの計が実行にうつされて、秀吉以下、黒田官兵衛その他不眠不休に、その工をとくしていたあいだである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と対馬は、こんどこの、日光をお引き受けするについて、家臣をとくして調べさせた日光修覆に関する文献をボツボツと思い出しながら
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
汝將に京に入らんとすとく、請ふ吾が爲めに恭順きようじゆんの意を致せと。余江戸を發して桑名にいたり、柳原前光さきみつ公軍をとくして至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。
また信長のぶなが寡兵かへいとくして桶狭間おけはざまに突進するに先だち、いかほど心を労したろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
坪井博士つぼゐはかせは、石田學士いしだがくし大野助手等おほのぢよしゆらともに、かね集合しうがふさしてある赤鉢卷あかはちまき人夫にんぷ三十餘名よめいとくして、いよ/\山頂さんちやう大發掘だいはつくつ取掛とりかゝり、また分隊ぶんたいして、瓢箪山西面ひようたんやませいめんに、なかばうづもれたる横穴よこあな
自分は、小人数の、しかしそれだけで充分な工夫等をとくして、列車の疾走して来ない間に、凡ての準備をととのえておいた。遂に列車が進行して来た。列車は何の故障もなく安々と支線へ滑り込んだ。
みずから美濃へ出馬し、帰っては北国の手当をとくし、また、奈良方面の作戦に当るなど、向うところの局面へ没している。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太宰府の居館を焼かれたので内山にたてこもり、一族の託磨たくま、中村などの少数をとくして、よく一日半ほどは、死力のふせぎに敵の大軍をてこずらせた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このところ幾日かはほとんど寝る間もなく家中や組の者をとくしてきょうもここに懸命に努めていた光秀は、信長の声に、初めは耳を疑っていたが、家臣から
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ、駅路うまやじも都から遠くないうちは、その後、高俅こうきゅうの激怒が、官布となって、諸道国々の守護へたいし、罪人王進の逮捕たいほとくすこと頻りであるとも聞えていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右馬介はその日から、たち下屋しもやに冬中の住居を与えられた。そして、城内の土蔵つちぐらにある武具を、本間三郎が奉行となって、家来をとくしては、取り出すのである。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、彼はそのまま船手をとくして中ノ島、西島、知夫里ちぶりなどの浦々をめぐり、島前どうぜん各地の浜番所の勢子せこ
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、亭主の左橘右衛門は、召使たちをとくして、ざるで何かをすくい上げるように官兵衛の体を移した。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏が逆賊と決定づけられたのも、あれからですが、その編纂をとくした水戸光圀みつくに(水戸黄門)も後では少々尊氏に気の毒だと考えたのか、こう遺言しておいたというんです。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足場の上で、大工左官たちをとくしていた松尾刑部は、正季を見かけると、すぐ下りて来て。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、むちを持って牛馬や人夫をとくしている荷駄隊の兵に、そのうろたえを呶鳴りつけられた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と風呂をすすめ、その間に、下男女中をとくして、鮮魚、若鶏わかどりの物などの手早い料理、さて杯やら銀の酒瓶ちろりやら、盆果ぼんか点心てんしん(菓子)なども取揃えて、席も卓の上席にあがめ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「やあ、てまえは佐々介三郎さっさすけさぶろうと申し、ここの工事をとくしておるものでござるが——ただいまのおはなし、何の儀か、よう意味がわからぬが、いったいここで何をおやりなさろうという仰せか」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
店の若い者をとくして、朱富は、自分の女房や子供らを一台の箱馬車に乗せ、また家財手廻り一切を、その馬車や手押し車に積みこんで、夜の明けぬまに、町端まちはずれの森の辻まで送り出していた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてわれがちに内へ躍り込んで行った面々も、みな咳声しわぶきにむせ返ってしまい「——火を消せ。火を消すのが先だッ」とばかり、あらまし濡れ縁から外へとびおり、むらがる兵をとくしはじめた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小屋の中に枕をならべている怪我人たちが、寒くないように、また、雨でも降って来たときにもこごえぬように、介三郎は職人たちをとくして、翌日も翌々日も、まるでその事につぶしてしまった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細川、土岐、赤松、仁木の諸軍をとくして、八幡をかこんだ。岩松頼宥らいゆうや山名時氏が来会したのもこの前後であり、義詮の陣営はいよいよふるった。そのうえ敵がわからの投降兵もたえなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十月には、碑の裏面に彫る「楠公賛なんこうさん」の文が、筆者の岡村元春おかむらもとはるからとどいたので、石屋の権三郎親方は、新たに京都からよんだ六人の石工いしくとくして、それを注連小屋しめごやのうちで、彫りにかからせた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
工事をとくしていた奉行の山淵右近が、下役の者へ訊ねていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)