“右衛門督”のいろいろな読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
うえもんのかみ | 75.0% |
うゑもんのかみ | 25.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
右衛門督は六条院の宮の御出産から出家と続いての出来事を病床に聞いて、いっそう頼み少ない容体になってしまった。
息子の右衛門督は、白い直垂をつけ、宗盛の直ぐ後に続いたが、この方は目もあげられず、うつ伏したまま、涙にむせんでいるのであった。平大納言時忠の車がそのあとに続いた。
“右衛門督(衛門府)”の解説
衛門府(えもんふ)とは、律令制における官司。当初は1つであったが、大同3年(808年)に(左右)衛士府と統合されて一旦廃止され、弘仁3年(811年)に左右衛士府の改称に伴って復置された際、左衛門府と右衛門府の2つが置かれた。和訓にて「ゆげひのつかさ」と呼び、「靫負」という漢字をあてる場合がある。「ゆげひ」とは「ゆぎおひ(靫負ひ)」の転訛で「靫」とは弓を入れる容器のこと。「ゆげひ」がさらに訛って「ゆぎえ」とも称される。唐名は金吾、監門、監府。長は衛門督 (後に左衛門督・右衛門督)である。「柏木」は王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
“右衛門督”で始まる語句