眼差まなざ)” の例文
化粧をしないおせいの顔が艶々つやつやと光つてみえる。富岡は、魂のないうつろ眼差まなざしで、おせいのどつしりとした胸のあたりを見てゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
娘ながらいかんと言えば覚悟がありそうな、思い詰めた眼差まなざしを見て、主水は——何かこれには訳があろう、と考えたから
半化け又平 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それは全く右馬の頭の眼差まなざしにちがいなかった。何というひどい変り様であろう。生絹は悪寒おかんを総身におぼえて震えた。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
あの眼差まなざしもあの微笑びしょうも、てんで見当らなかったけれど、それでいてこの新しい姿になっても、わたしにはやはり素晴すばらしいお嬢さんと思われた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
わたしの指の間で、くうをつかむ。嘴を開く、細い舌がぴりぴりっと動く。すると、その眼差まなざしの中に、ホオマアのいわゆる、死の影が下りて来る。
彼女は恐怖と哀願と愛情の入れまじった眼差まなざしで彼を見つめた。彼の面影をなるべくしっかり記憶に刻みつけようと、まじまじと見つめるのだった。
ギャルソンに註文をあつらえた後のむす子は画家らしい虚心で、批評的の眼差まなざしで、柱の柱頭に近いところに描いてある新古典派風の絵を見上げていた。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
私たちは『美しい熱情』のしるし解釋かいしやくした色々のやさしい眼差まなざしと吐息を不意に襲つて驚かしたつけ。そして世間は直ぐに、その發見を喜びましたのね。
そうした時、私は物をいう必要がなかった。父は私の眼差まなざしから私の願いを知って、それをみたしてくれたから。
(新字新仮名) / 金子ふみ子(著)
そんな思いをまでこめたお母さんの射るような眼差まなざしに、敏感な反応をしめして、十二の目はたじたじとなった。お母さんははっとして急いで笑顔を作ってみた。
赤いステッキ (新字新仮名) / 壺井栄(著)
さすがに不憫ふびんですが、鉛色に黒く焼けただれた顔面の中には、白味の勝った、いつもにらむような眼差まなざし。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
切れこんだ細いまぶたのうえに、鳶色とびいろの瞳をすえていた。相手の胸にぶっつけた自分の言葉がどれだけ効果をあげたか——それを見究めようとする眼差まなざしになっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
寒くないときでも、始終身体をふるわしていた。子供らしくないしわまゆの間に刻んで、血の気のない薄い唇を妙にゆがめて、かんのピリピリしているような眼差まなざしをしていた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
と小六は、お延が肩をすぼめて云う言葉を制して、凄い眼差まなざしを、廊下の跫音へ振り向けた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
花嫁の悲しげな眼差まなざし、あるいはイブセン、蒋介石、心中、保険魔、寺尾文子、荒木又右衛門、モラトリアム、……等といっしょに、荒縄でくくられ、トラックに積みこまれて
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
長面で頬がやつれていて眉間みけんの中央に目立って大きい黒子ほくろがある。それが神々しく感ぜられる。唇にはいつも寂しい微笑を含ませ、眼差まなざしにはいつも異様なひらめきを見せている。
そうして私はすれちがいざま、その老人の焦点しょうてんを失ったような空虚うつろ眼差まなざしのうちに、彼の可笑おかしいほどな狼狽ろうばいと、私を気づまりにさせずにおかないような彼の不機嫌ふきげんとを見抜みぬいた。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
訴えるような眼差まなざしを見ると、十次郎はツイ斯う言わなければなりませんでした。
踊る美人像 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
わたしの明るいと、わたしのたしかな眼差まなざしとを、考えてくれる者はありません! わたしのバラの花も、牧師の家の庭のバラの花とおなじように、ずんずん若枝をのばしていきました。
不断に「新しい師」と「よりよい自分」の幻を追って、未知の世界への前進をつづける少年の憧憬と夢とにあふれた眼差まなざし。それは何という不遜さと共に、何という謙譲さを湛えていることだろう。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
それを恥じるような眼差まなざしを投げて、こそこそと犬は去った。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
そうして部屋の戸口へ来て、あどけない眼差まなざしで差し覗いた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あの眼差まなざし、あの微笑を忘れることは、終生とてもできまい、——今まで見たこともないあの姿、思いがけなく今日わたしの眼に映ったあの姿は
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
たまたまひらめきかける青年の眼差まなざしに自分の眼がぶつかると、見つけられてはならないと、あわてて後方へ歩き返した。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そうした時、私は物を言う必要がなかった。父は私の眼差まなざしから私の願いを知って、それをたしてくれたから。
富岡は酔つた眼に、ゆき子の涙を浮べてぎらぎら光る眼差まなざしを見た。その眼の色のなかには、不思議な魔力があつた。女房の眼のなかにも、時々こんな光りがあつたと思つた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
かの女ははかない幻影に生ける意志を注ぎ込むような必死な眼差まなざしで、これ等の人々を見渡した。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その唇は相変らず謎めいた微笑を浮べ、眼は少し横合いから物問いたげに、考え深そうに、やさしげにわたしを見まもっていた……あの別れた瞬間しゅんかんとそっくりそのままの眼差まなざしだった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
加野はもう一度、ぴつたりゆき子にからだを寄せてみた。ゆき子はぎらぎら光つた眼差まなざしで、加野を見つめた。むれた雑草や、花の匂ひが夜気にこもつてゐる。時々、ちいつと草の茎が鳴つた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
そのあとのロマネスクの茶亭に腰掛けて真佐子は何を考えているか、常人にはほとんど見当のつかない眼差まなざしをくゆらして、寂しい冬の日の当る麻布の台をいつまでも眺めていた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)