白眼はくがん)” の例文
その頃雜誌ざつし青鞜せいたう」はうまれ、あたらしい女といふことが大分だいぶやかましくなつてまゐりました。けれど私達は初めからそれを白眼はくがんでみました。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
その面を魯粛は「がたき大将」とさげすむように睨みつけていた。そのらんたる白眼はくがんにも刻々と生暖かい風はつよく吹きつのってくる。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その淋しがり屋の友達好きが、何故に孤独の穀の中にひそまって、世間を白眼はくがんで見なければならなかったか。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
功成り名遂げて退しりぞくと云つたやうな大きい滿足を感じてゐると同時に、退いた後の世間に對しては、乃ち白眼はくがんを以て此れを看る、極めて冷靜な唯我主義の態度を取つて居る人だ。
新帰朝者日記 拾遺 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
父に別れてからは周囲は他人ばかりで、唯一の肉親である兄が却って白眼はくがんで見るのだ。只一人の同情者も持たない彼が、童心をさいなまれ、蝕ばまれて行った事がはっきり分るのだ。
そういう境地に韜晦とうかいして、白眼はくがんを以て世間を見下すという態度には出でなかった。南朝の詩でも朗吟すれば維新の志士のおもかげすらあった。それが『蒲団』を書いた花袋である。
社会は、この最も弱いものを同情するよりは、しばしば一種の白眼はくがんってみる。
ブウシエをわらつて俗漢とす。あにあへて難しとせんや。遮莫さもあらばあれ千年ののち、天下靡然びぜんとしてブウシエのけんおもむく事無しと云ふ可らず。白眼はくがん当世におごり、長嘯ちやうせう後代を待つ、またこれ鬼窟裡きくつりの生計のみ。
反身そりみになって、往還の士農工商どもを白眼はくがんに見ながら通って来たものですが、山登りにかけては、あんまり自信が無いと見えて、もうそろそろ、体がかがみ、腰がゆがみ、息ぎれが目に見え出してくる。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
むなくて、白眼はくがんに世を見下げたるひやき夢のなかぢゆうして
白鳥 (旧字旧仮名) / ステファヌ・マラルメ(著)
「この婆は冷酷な婆だな。」と白眼はくがんで睨んでやった!
老婆 (新字新仮名) / 小川未明(著)
大坂方とくさいという徳川家一般の者の白眼はくがんが——それに耐えている数正の胸中が——伝右衛門には人ごとならず察しられていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
始からその冷然とした態度にてられて、さつきの不安を今更のやうに又新にしたが、独り其角が妙にくすぐつたい顔をしてゐたのは、どこまでも白眼はくがんで押し通さうとする東花坊のこの性行上の習気を
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いきなり、死首しにくびの歯から、孫兵衛がグッとそれを引ッたくったので、周馬は重さにのめりながら、すばやく、白眼はくがんにお十夜の手もとを見つけて
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、にらみ返されたのは、さもあるはずでしたが、それにしても一瞬浪人の白眼はくがんが、あまりといえば凄い目であった。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
菊池半助は、勝負なしのものわかれに、無念むねんそうな白眼はくがんを相手に投げ、そうほう、無言むごんのままにらみわかれた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
脇息きょうそくとともに仰むけに身をそらし、もの凄い家鳴やなりにゆれる天井を、白眼はくがんで見つめていた。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
踏んでも踏んでもひしげない御小人の藤吉郎頃から、近年にいたっては、重臣の自分らと肩をならべ出して来た彼の器量にたいし、白眼はくがん、常にゆるがせにはていなかったのだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だのに、その数正の近ごろの憔悴しょうすいは、はた目に見るもあわれなほど、頬骨たかくやつれていた。しかし家中一般の白眼はくがんは、伝右衛門以外、たれもそれを、あわれもののふとは見なかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主命とあって、近習きんじゅうでも飛びかかって来たら、一かつして退しりぞけてしまうつもりであろう、鋭い白眼はくがんが、じっと一同をめつけた。他ならぬ千坂兵部である。誰も、手を出すことはしなかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)