痕跡あと)” の例文
私はその壁の向うに飛び散り、粘り付いているであろう血の痕跡あとを想像しながら、なおも一心に眼をみはり、奥歯を噛み締めていた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
わが汝より聞ける事の我心にとゞむる痕跡あといとあざやかなるをもてレーテもこれを消しまたは朦朧おぼろならしむるあたはず 一〇六—一〇八
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「そうだ、これから出かけて行き、広場の様子を見てやろう! 格闘したものなら痕跡あとがあろう。殺されたものなら血痕があろう」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
不幸ふかうなるちひさな甚公じんこうは、なんにも痕跡あとのこらぬのをつて、一本指ぽんゆび石盤せきばんくことをめました、ところで、そのかほからインキのれてるのをさいは
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
その翌日は、昨日の暴風雨の名残りは痕跡あともなく綺麗きれいぬぐい取ったような朗らかな晴天になった。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
あらず、なお一人の乙女おとめ知れり、その美しきまなこはわが鈍き眼に映るよりもさらに深く二郎がこおれる胸に刻まれおれり。刻みつけしこの痕跡あとは深く、凍れる心は血に染みたり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
瑠璃子は腫物の薄い痕跡あとさえ恥かしがって、それが治るまで辛抱していたので、丁度六ヶ月ばかりかかってしまった。併し、治ったのだ。元の美しい瑠璃子になって帰って来たのだ。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あの、卑猥ひわい牝豚めすぶたのような花子につちかわれた細菌が、春日、木島、そしてネネと、一つずつの物語を残しながら、暴風のように荒して行った痕跡あとに、顔を外向そむけずにはいられなかった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
当時は死ぬか生きるかの大きな創傷きずを総身に受けたに相違なかつたが、いつ治つたともなく治つて、今ではその痕跡あとをすら見出すことが出来なくなつた。否、そればかりではなかつた。
船路 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
立たうと思つたかして、私の方に向き直ると云ふのであつた。放つて置かれゝば何時か自然に取れます。手術して取れないこともありませんが、痕跡あとが残りますしそれに、さうお邪魔でもないでせう。
亡弟 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
おまえの地上にのこす痕跡あとは寺の墓場だけなのか。
念のために机掛けをまくって、机の表面まで一々検めて行ったが、これも直ぐに拭いたと見えて何の痕跡あとも発見されなかった。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と云って毒殺の痕跡あともなく、自殺したらしい証拠もない。ただそれは一個の屍体であった。傷がないばかりかその屍骸は掠奪されてもいなかった。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それはほとんどようをなしませんでした、石盤せきばんなん痕跡あとのこらぬので。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
あまり滑らかでない紙の下から、粗い布目が不規則に浮き出しているのだから、何の痕跡あとだかハッキリと見分けがたい。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
……窩人かじんに云わせると宗介蛇、蘭語で云うとエロキロス、これは珍らしい毒蛇で、これに噛まれると、一瞬間に死んでしまう。しかも少しも痕跡あとを残さない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それでもタタキの上に一面に残っている血みどろの苦悶の痕跡あとを一眼見ただけで、ゾッとさせられたのであった。
冗談に殺す (新字新仮名) / 夢野久作(著)
浮気の痕跡あとがタップリと血の中に残っている。この白痴こけ野郎ッ……てな毒の名前なめえだったと思いますがね。ヘエ。
人間腸詰 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私たちの靴の痕跡あとが、そのまま床に残ったところを見ると、部屋中が薄いホコリにおおわれているらしい。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
の近くには黒いさび痕跡あとさえ見えていたが、彼女はそれを右手の指の中に、逆手さかてにシッカリと握り込むと、背後うしろの青白い光線にかざしながら二三度空中に振りまわして
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
錫杖の仕込刀しこみ左手ゆんでに提げて足音秘めやかに方丈を忍び出で、二人を求めて跣足はだしのまゝ本堂の周囲を一めぐりするに、本堂の階段の下に微かながら泥の跳ね上りし痕跡あとあり。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その外出頭のびんからつとのあたりに気を付けてみますると、一度、毛がピッシャリと地肌に押付けられたものを、又掻き起いて恰好を付けた痕跡あとが、そのまま髪毛の癖になって
その雪のような乳房の表面には、今まで締め付けていた繃帯の痕跡あとが淡紅色の海草のようにダンダラになってヘバリ付いていたが、しかし、私は溜息をせずにはいられなかった。
一足お先に (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その唇の近くで白い指先をわななかしながらすぐ傍の芝生の上に残っている輪形の鉢の痕跡あとを見まわしていたが、やがてオドオドしたおびえたような眼付きで、階段の上を見上げた。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その電燈の位置と、血の痕跡あとの位置とを見比べて、老爺おやじが仕事をしている状態を想像すると、ちょうど電燈の真下の処に老爺の禿頭はげあたまが来る事になる。デンキとデンキの鉢合わせだ。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
或る日思いがけなく人間の歯の痕跡あとの付いた象牙の骰子さいの半分割れが出て参りました
私はそのに椅子から立ち上って、へやの中の白い机掛けを一枚一枚あらためて行ったが、ハンカチで拭く程珈琲を引っくり返した痕跡あとはどこにも見当らなかった。大方あとで取り換えたものであろう。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
悠々たる態度でその血の痕跡あとと、上り框の関係を見較べた。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)