猶子いうし)” の例文
それから加之しかのみならずと云って、皇太后の御上を云い、「猶子いうしの恩を蒙りて、兼ねて長秋ちやうしうの監たり、嘗薬しやうやくの事、相譲るに人無し」といい
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
自ら猶子いうしと称する仲元益ちゆうげんえきが「南都」と書してゐるを見れば、近藤玄之も亦奈良の人かと推せられる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ひとみさだめてこれをめば——雲横秦嶺家何在くもしんれいによこたはつていへいづくにかある雪擁藍關馬不前ゆきらんくわんをようしてうますゝまず——昌黎しやうれいときなにたるをらず。すでにして猶子いうし左道さだうよろこばず、をしふべからずとして、江淮かうくわい追還おひかへす。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
晩唐ばんたう一代いちだい名家めいか韓昌黎かんしやうれいに、一人いちにん猶子いうし韓湘かんしやうあり。江淮かうくわいよりむかへて昌黎しやうれいやかたやしなひぬ。猶子いうしとしわかうして白皙はくせき容姿ようしあたか婦人ふじんごとし。しかおこな放逸はういつにして、いさゝかまなぶことをせず。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
猶子いうし屏風びやうぶて、には牡丹叢ぼたんさうおほひ、ひとうかゞふことをゆるさず。ひとなかにあり。くわ四方しはうり、ふかおよび、ひろひとれてす。たゞ紫粉むらさきこべに白粉おしろいもたらしるのみ。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)