とろ)” の例文
とても熊野川または北山川——ことに後者の一部を成してゐるとろ八丁のやうなあゝした幽深な感じはそこから受けることが出来ない。
あちこちの渓谷 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
と見るまに、二のせきれいのうち、一羽がとろの水に落ちて、うつくしい波紋はもんをクルクルとえがきながら早瀬はやせのほうへおぼれていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とろ八丁を止すついでに奈智の瀧も此處から見るだけに留めて置かうかとも思つたが、幾らか心殘りがあるので思ひ切つて出かける。
熊野奈智山 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
絶壁と、氷蝕谷の底を、ジグザグ縫うその流れは、やがて下流三十マイルのあたりで激流がおさまり、みるもよどんだような深々としたとろになる。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
脚の下の深い谷底では、真青なとろが幾筋かの太い水脈をり合せ綯り戻して、渦を巻きながら押し黙って流れている。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
尺八は少し離れたところの机の上にあって、膝のわきには二本の刀が、これもとろにつながれたいかだのようにおだやかに、一室の畳の上に游弋ゆうよくしている。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ふだんの彼の言葉から察するのに彼はなた庖丁で肉を叩きながら尾根山の岩膚が多那川へ露き出しになっているとろの頁岩のことでも考えているのでしょう。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ようとは世、どれとはとろと同じく靜まりかへる義であるとは、如何にもさうあるらしく私の耳にも感じられる。
沖縄の旅 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
大久保の長とろへ来たときは、水は湖沼のやうに、穏やかな、円かな夢でも見るか、ひつそりして、やんわりと大様な亀甲紋が、プリズムの断面を見るやうに
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
伊勢へななたび熊野へさんど、と言ふ文句があるが、私は今年の夏六月と八月の二度、南紀新宮の奥、とろ八丁の下手を流れる熊野川へ、あゆを訪ねて旅して行つた。
たぬき汁 (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
ところどころにとろをつくりながら暗い洞門の中へのろのろと流れ込んでいる。
地底獣国 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
伊那山中、三峯みぶ川上流小瀬戸の御料局宿泊所。天竜支流三峯川は仙丈ヶ嶽、白根三山から源を発する大河で、俗人の全く入らぬ小瀬戸あたりでもかなりの水量で、相継ぐ滝ととろに岩魚が濃い。
釣十二ヶ月 (新字旧仮名) / 正木不如丘(著)
山川のみ冬のとろに影ひたす椿は厚し花ごもりつつ
風隠集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
小さなとろをなしたしじまを見たときだつた。
木々の精、谷の精 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
さつの剣光がサッと彼の影をかすめた。と見えたと思うとドブンととろの水面に飛沫しぶきが上がり、つづいてもう一人は彼の足蹴を食って
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初めの豫定では勝浦あたりに泊る心はなく、汽船から直ぐ奈智に登つて、とろ八丁に𢌞つて新宮に出て、とのみ思うてゐた。
熊野奈智山 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
紀州の海岸百十数里、其処には新宮しんぐうの町もあれば、日本第一の称ある那智のたきもある。熊野川の流、とろ八町の谷、私の心は其海と其山とに向つて烈しく波打つた。
春雨にぬれた旅 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
この上流へ来ても驚く程水量の豊富である利根の水が暗緑に沈んで渦を巻いたり、声を呑んで冷くグラグラ煮え返りながら、最後に大淵の物凄いとろからサッと溢れて
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
くの字に曲って来て、お秀の貸船屋の前の淵に突当った水は、その反動でタガメの住む対岸の毘沙門堂の洲を作り、またこちらの岸にうち当てゝ象の鼻のとろとなっています。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
とろ八丁の両岸の崖に、初夏の微風を喜びあふれる北山川の若葉も、我が眼に沁み入るばかりの彩であった。それが、鏡のように澄んで静かに明るい淵の面に、ひらひらと揺れながら映り動いていた。
(新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
濁りて光る山椒魚さんしようをぬま調しらべとろむ。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
秋の水がつめたくなって、はや山魚やまめもいなくなったいまじぶん、なにをる気か、ひとりの少年が、蘆川あしかわとろにむかって、いとをたれていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
し岩壁の豪宕ごうとう壮大なる、渓流の奔放激越せる、若くは飛瀑の奇姿縦横なるものをもとめたならば、とろ八町であろうが、長門峡であろうが、或は石狩川の大箱小箱であろうが
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ふかみのこゝろ——おもむろにとろみて濁る
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
時はたそがれ、所は蕭々しょうしょうたる江のほとり。わざと二人は鎖を追って、下は不気味な深いとろと見える崖ぷちへ連れて行った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
絶壁の間に長いとろをなし、四、五十間にしてまた右に曲り、それから奥は如何なっているか知ることが出来ない、だ何処ともなくごうという地響のような音が聞えるばかりである。
北岳と朝日岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
波もなきましさに、とろみうつれる
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
とろ八丁から奥瀞おくとろまでの探勝の美文は彼女のそらんじるまま口をついて出で、船体の震音とともに、一つの音楽にさえなっている。水悠々。人悠々。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
両岸とも下へ行く程まるく抉れて、岩面は磨いたように光沢を帯びている、それへ幾尋いくひろの深さあるか知れないとろの水色が反射して凄い藍色の影が映っている。あたりは木立が深い。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「あ、とろの岩にせきれいが遊んでいやがる。そうだ、これからは鳥うちだ、ひとつ小手しらべにけいこしてやろうか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奇岩乱峭らんしょうといったとろの絶景が、これでもかこれでもかといわぬばかり、大自然の奇工が、両岸から圧してくる。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ピチ、ピチ、と小魚のはねる流れのとろに、ただすの森をこしてくる初秋の風がさざ波を立てている……。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんもりと茂った夏柳の葉蔭は、川の水も、とろのように穏やかで、そして暗かった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隅田宿すみだじゅくの方から流れてくるこの大河は満々として広かった。下総しもうさ寄りの岸の方には、鬱蒼うっそうとした森が折り重なり、河水に樹の根の洗われている辺りは、水もまっ蒼な日陰のとろになっている。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)