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ぶげい
いつしか
私のことを
世にも
類なき
烈婦……
気性も
武芸も
人並すぐれた
女丈夫ででもあるように
囃し
立てたらしいのでございます。
「つねに
練りきたえている
胡蝶の
陣を
組みましょう。ふだん
武芸をはげむのも、こういう
場合のためにではありませぬか」
なるほど
評判の
通り、
頼政は
武芸の
達人であるばかりでなく、
和歌の
道にも
達している、りっぱな
武士だと、
天子さまはますます
感心あそばしました。
下等士族は
則ち
然らず。
役前の
外、馬に乗る者とては
一人もなく、内職の
傍に少しく
武芸を
勉め、文学は
四書五経歟、なお
進て
蒙求、
左伝の一、二巻に終る者多し。
つまり
病気には
病気直しの
神様、
武芸には
武芸専門の
神様、その
外世界中のありとあらゆる
仕事は、それぞれ
皆受持の
神様があるのでございます。
元々武芸の
家柄である上に、
生まれ
付き
弓矢の
名人で、その上
和歌の
道にも
心得があって、
礼儀作法のいやしくない、いわば
文武の
達人という
評判の
高い人だったのです。
正当な
武芸とはいわれぬ、
幻術や
遠駆けなどの
試合を
提示してきたのを見ると、一同は、かれらのひきょうな
心底を
観破して、一
言のもとに、それをはねつけようと思った。
武芸は
主に
薙刀の
稽古、
母がよく
薙刀を
使いましたので、
私も
小供の
時分からそれを
仕込まれました。その
頃は
女でも
武芸一と
通りは
稽古したものでございます。
「
当家の
武芸のほどをしめしてやれ」