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りよじゆん
ふりがな文庫
“
旅順
(
りよじゆん
)” の例文
日本人中
(
にほんじんちう
)
には
今日
(
こんにち
)
でもなほ
外人
(
ぐわいじん
)
に
對
(
たい
)
して
臺灣
(
たいわん
)
を「フオルモサ」、
樺太
(
かはふと
)
を「サガレン」、
朝鮮
(
てうせん
)
を「コレア」
旅順
(
りよじゆん
)
を「ボート・アーサー」
国語尊重
(旧字旧仮名)
/
伊東忠太
(著)
そしてその
頃
(
ころ
)
の
古墳
(
こふん
)
があちらこちらに
遺
(
のこ
)
つてゐますが、あの
旅順
(
りよじゆん
)
の
西
(
にし
)
にある
老鐵山
(
ろうてつざん
)
の
麓
(
ふもと
)
などには
古
(
ふる
)
い
城壁
(
じようへき
)
がありまして、そのあたりには
古
(
ふる
)
い
墓
(
はか
)
がたくさん
散在
(
さんざい
)
してをります。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
旅順
(
りよじゆん
)
の
吉報
(
きつぱう
)
傳
(
つた
)
はるとともに
幾干
(
いくばく
)
の
猛將
(
まうしやう
)
勇士
(
ゆうし
)
、
或
(
あるひ
)
は
士卒
(
しそつ
)
——
或
(
あるひ
)
は
傷
(
きず
)
つき
骨
(
ほね
)
も
皮
(
かは
)
も
散々
(
ちり/″\
)
に、
影
(
かげ
)
も
留
(
とゞ
)
めぬさへある
中
(
なか
)
に
夫
(
をつと
)
は
天晴
(
あつぱれ
)
の
功名
(
こうみやう
)
して、
唯
(
たゞ
)
纔
(
わづか
)
に
左
(
ひだり
)
の
手
(
て
)
に
微傷
(
かすりきず
)
を
受
(
う
)
けたばかりと
聞
(
き
)
いた
時
(
とき
)
雪の翼
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
四月十日宇品にて乗船せさせ給ひ、十四日
柳樹屯
(
りうじゆとん
)
にて上陸せさせ給ふ。五月二十二日
旅順
(
りよじゆん
)
を発せさせ給ひ、三十日台湾
三貂角
(
さんてうかく
)
にて上陸せさせ給ふ。十月二十八日台南に
薨
(
こう
)
ぜさせ給ふ。
能久親王年譜
(新字旧仮名)
/
森鴎外
、
森林太郎
(著)
おせいさんは少しならず思ひくづをれ候すがたしるく、わかき人をおきて
出
(
い
)
でし
旅順
(
りよじゆん
)
の弟の、たび/\帰りて慰めくれと申しこし候は、母よりも第一にこの
新妻
(
にいづま
)
の上と、私見るから涙さしぐみ候。
ひらきぶみ
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
▼ もっと見る
支那
(
しな
)
にはひりますと、
朝鮮
(
ちようせん
)
に
近
(
ちか
)
い
滿洲
(
まんしゆう
)
にも、
旅順
(
りよじゆん
)
や
大連
(
だいれん
)
あたりからも
石器
(
せつき
)
が
非常
(
ひじよう
)
に
多
(
おほ
)
く
出
(
で
)
るのでありますが、
石斧
(
せきふ
)
の
中
(
なか
)
には
平
(
ひら
)
たくて
孔
(
あな
)
があり、
角
(
かく
)
ばつた
鑿
(
のみ
)
のようなものがありまして
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
また
北
(
きた
)
の
方
(
ほう
)
遼陽
(
りようよう
)
の
北
(
きた
)
には
石
(
いし
)
で
大
(
おほ
)
きな
室
(
しつ
)
をつくつた
古墳
(
こふん
)
があつて、その
石室
(
せきしつ
)
に
繪
(
え
)
を
描
(
か
)
いたのがありましたが、
今
(
いま
)
は
旅順
(
りよじゆん
)
の
博物館
(
はくぶつかん
)
に
持
(
も
)
つて
來
(
き
)
てありますから、
容易
(
ようい
)
に
見
(
み
)
ることが
出來
(
でき
)
ます。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
“旅順(旅順口区)”の解説
旅順口区(りょじゅんこうく、リューシュンコウく)は、中華人民共和国遼寧省大連市に位置する市轄区。遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られ、旅順軍港を有する軍港都市として栄えた。区人民政府の所在地は新城大街1号にある。大連市内からは45kmの距離で、国家級風景名勝区、国家級自然保護区に指定されている。陸地面積506.8平方km、海岸線の長さは169.7km。沿海では真珠の養殖が盛んである。
(出典:Wikipedia)
旅
常用漢字
小3
部首:⽅
10画
順
常用漢字
小4
部首:⾴
12画
“旅順”で始まる語句
旅順口
旅順戦
旅順椀
旅順港