改易かいえき)” の例文
その秋生国しょうごく遠州えんしゅう浜松在に隠遁いんとんして、半士半農の生活を送ることとなったが、その翌年の正月になって主家しゅか改易かいえきになってしまった。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「家が改易かいえきになり、躯ひとつで放り出された私は、或る知りびとのところへころげこんで、酒浸りになりました」と芳村は云った
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おこよ源三郎をひきさらって遠く逃げられました故、深見新左衞門はなさけなくも売卜者の為に殺されてお屋敷は改易かいえきでございます。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言ぞうごんを、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、たちまち、改易かいえきになってしまう。——
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
うばひ取られし事他聞たぶんも宜しからず當家の恥辱ちじよくなりとて改易かいえき申付られ尤も憐愍れんみんを以て家財は家内へ與へられたれば通仙が後家ごけお竹并びに娘お高はやしき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
改易かいえき、お手討ち、上意討ち、黒白正邪をつけないうちに、只お憎しみ一途の御諚が下るのは知れ切ったことでした。
殿中では、何の意味もないにしろ、鯉口こいぐちを三寸くつろげれば、直ちに当人は切腹、家は改易かいえきということに、いわゆる御百個条によって決まっているのである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
昨年改易かいえきされて甲賀家のたえたことをしるし、最後に、自分は仔細あって、阿波守の身辺に接しもし、また世阿弥の所在を知りたいこともあるので、烏滸おこながら、公儀の隠密として
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠直卿は、母君との絶えて久しき対面をよろこばれたが、改易かいえきの沙汰を思いのほかにたやすく聞き入れられ、六十七万石の封城を、弊履のごとく捨てられ、配所たる豊後国府内ぶんごのくにふないに赴かれた。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
名は燿蔵ようぞういみな忠輝ただあき、号を胖庵ばんあんといい、祭酒さいしゅ述斎じゅつさいの第二子である。弘化二年十月罪を獲て改易かいえきとなり、その身は讃州丸亀まるがめの領主京極きょうごく氏の藩中に禁固せられた。時にその年五十歳であった。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
売り、夫は女房に別れて、泣かない日とてはない何千人の怨み、公儀の御とがめはまぬかれても、御墨付が紛失した上は、軽くて改易かいえき、重ければ腹でも切らなければなりますまい、おおいい気味
トウトウ改易かいえきニナッタ、葉山モ江戸ノ構エヲ喰ッタヨ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
伊東七十郎とその一族罪死、という悲惨な結末をのこして、采女うねめは伊達式部に預けとなり、小野の伊東氏は改易かいえきになった。
其方儀そのはうぎせん平助へいすけ養子やうしに相成候節約束をそむき藤五郎藤三郎の兩人をはいし我子すけ五郎に家督かとくを繼せんため種々しゆ/″\惡事等あくじとうくはだて候段不屆ふとゞき思召おぼしめし改易かいえきの上八丈ヶ島へ遠島ゑんたう仰付おほせつけらる
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
熟睡の油断に附入つけいりて槍をもっだまし討ちにした其ののちに、刀を以て斬殺きりころしたに相違なしということで、源次郎はお尋ね者となりましたけれども、飯島のいえ改易かいえきと決り
賣り、夫は女房に別れて、泣かない日とてはない何千人の怨み、公儀の御とがめはまぬがれても、御墨附が紛失した上は、輕くて改易かいえき、重ければ腹でも切らなければなりますまい、おゝいゝ氣味
これが普通だったら秩禄没収ちつろくぼっしゅう、御家は改易かいえき、その身は勿論切腹と思われたのに、竜造寺家末流という由緒から名跡みょうせきと徳川家客分の待遇が物を言って、幸運にも長門守は罪一等を減ぜられた上
村山享書は永蟄居えいちっきょ食禄しょくろく半減はんげん。野口行之助は改易かいえき和泉図書いずみずしょは親族預け、食禄三分の一減。笠井十兵衛は永蟄居、食禄半減。その他——ということであった。
艶書 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
又カウランという美人をおらんと名づけ、ヴリウという賊がございますが、是は粥河圖書かゆかわずしょという宝暦八年に改易かいえきに成りました金森兵部小輔かなもりひょうぶしょうゆう様の重役で千二百石を取った立派なお方だが、身持が悪くて
「御存じなかったのですか、苅田さんが改易かいえきになったのも」
醜聞 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)