徒渉としょう)” の例文
刈安峠を踰えブナ坂を下り、だいらの小屋へは立ち寄らずに、越中沢(ヌクイ谷)を徒渉としょうして黒部川の河原に出で、十五分ばかりり休憩した。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
天野源右衛門の手勢数百が、ざぶざぶと、桂川を徒渉としょうしてゆくのを見て、明け空近い旗風の下の一万余人は、いよいよ不安をつのらせた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いくら呼んでも丸木船が有りながら、それを出してはくれなかった。そこで、ようやく発見した浅瀬を銘々徒渉としょうする事になった。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
もっともこの積雪の上を徒渉としょうするのにどうしても滑りますから鉄製の爪あるカンジキを穿いて登るのであります。
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
臨時の河であるから知れたものだと、多寡たかをくくって徒渉としょうを試みると、案外に水が深く、流れが早く、あやうく押し流されそうになったことも再三あった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
何十回も川を徒渉としょうして歩いた、その同じ路に違いないのだが、昼間トラックで通ると、まるで感じが違う。
寒水徒渉としょうの難 ところがびっくりするほど冷たい水で自分の身が切られたかと思うほどの感じに打たれたから一遍に後戻りして飛び上った。こう冷たくては堪らない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
この水が段々と集って淵をし、松と岩との間を行くと、樵夫が徒渉としょうし、隠者が腰をかけている。
峠に関する二、三の考察 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それは遊びであり、また休息であり、逍遙しょうよう徒渉としょう、掘ること、捕えること、ねそべること、泳ぐことであった——壇の上の婦人たちに見張られ、呼びかけられながらである。
石理ことに明瞭也。水は音なくして、ゆるやかに流る。徒渉としょうして左岸に移り、石柱の下をつたう。いよいよ鬼神の楼閣の室に入りたる也。右崖一欠したる処に、飛泉懸りて仙楽を奏し、一峡呼応す。
層雲峡より大雪山へ (新字新仮名) / 大町桂月(著)
数十頭のヤク牛が重い荷を負わされて雪解けの谿流を徒渉としょうするのを見ていたら妙に悲しくなって来た。牛もクリーも探検隊の人々自身もなんのためにこの辛酸しんさんを嘗めているかは知らないのである。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
降雨や増水があっても流失や湿らぬ用意して置いて行った、只見川に別れて白沢を溯る、徒渉としょうというよりは全く川を蹈むのである、約一時間半でその日の露営地と予定していた不動瀑布の上に来た
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
または北陸道方面を徒渉としょうするのを例とする由。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
河床は平だから深いこともあるまいと、足探りに徒渉としょうして対岸に渡り、附近を物色すると踏み固められた道跡らしいものがある。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄とは、黒いかたまりになって、浅瀬は徒渉としょうし、深い所はいかださおさして、対岸へ渡って行った。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて六日午前七時、我々はドモン河を徒渉としょうしてカピサヤンに入った。僕はまず立派な道路がいつの間にか出来ているのに驚き、次に蠅がまるでいないのに驚いた。
岩魚釣りの架けた丸木橋が要所要所にあったので足をぬらすにも及ばなかったが、徒渉としょうするにしても膝より上を越す気遣いのない所許りだ。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
山城やまじろなので、ほりはないが、鉱山かなやま掘りの坑夫をつかって、城のまわりに塁壕るいごうを深く掘らせ、これに鈴鹿川の渓流を切って流し、寄手の徒渉としょうを困難にした。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
詳しいことをここに書く必要はないけど、とにかく大変な密林の中を、雨に叩かれ、増水した渓流を数十回も徒渉としょうし、病死者や渓流に溺れた者が次々に出る……という逃避行をしたのである。
私見に依れば河に在りては左様さような場所は、徒渉としょう地点として選ばれるものであるから、瀬を伴っている地名は其処が徒渉地点であることを示し
マル及ムレについて (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
桂川の流れは、一時、徒渉としょうの陣馬のせきにせかれて、対岸まで幾条となく白々と逆捲さかまいた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでいてこの屏風を建て廻したような河床を楽にあちこちと徒渉としょうしながら通行し得るのは、何たる幸福なことであろう。
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
所によって、深い淵もあるが、浅瀬は馬でも渡れるし、徒渉としょうもできる。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
休憩十五分の後、ブナ坂を下り、二時五分、越中沢を徒渉としょうし、更に五分にして黒部川の河原に出づ。二時二十五分、出発。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
過ぐる二月十一日の夜のごときは、そうした決死の城兵が約二千余り、死を決して志染川しそめがわ徒渉としょうし、秀吉の各陣所へ夜襲をかけて来たほどである。士気の壮烈なることは、以て、察しるに余りがある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其処を徒渉としょうして黒木の繁った急傾斜を攀じ登り、瀑の西側を乗り越えて上流に下り込むより外に手段はないと思った。
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この道のない頃は、渓流を徒渉としょうしたり両岸の藪を押分けたりして、非常に困難したものであるが、今は道があるので絶対に徒渉の必要がなくなった。
雪はお二、三町の下流まで続いていたが、厚薄不定なので其上は歩かれない、左岸の雪田を蹈んで更に二町許り下ると雪はここに全く尽きて、徒渉としょう四回の後
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
二十間ばかり下で殆んど瀑布をなし子酉川に落ち込んでいるから、水でも増せば徒渉としょうは極めて危険である。
奈良沢は楢俣に次ぐ大きなながれで、しかも楢俣と違って本流との出合は幅が広いから、出水の際は徒渉としょうは勿論架橋も不可能である為に、山に入るにも山から出るにも
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
危険な所には針金が張ってあり、路も修繕が行き届いているので、二ヶ所ばかり浅い徒渉としょうをした外には記憶に残る程の出来事もなく、夕方広河原の小屋に着いてしまった。
北岳と朝日岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
午前七時二十分に出発し、木賊沢の出合で冷たい徒渉としょうを行い、尾根へ上らずに沢に沿うた道をなり進むと踏み跡もいつか覚束なくなり、茅の葉に置く霜で足が痛くなる。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
富直線の未だ開通せざる以前に、信州方面から立山へ登るには大抵この峠を上下し、黒部川を徒渉としょうして、刈安峠及ザラ峠をえ、立山温泉に出て其処そこから登山したものである。
針木峠の林道 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
右に木立を衝き抜け、なり水量のある沢が三、四丈の瀑を成している上を徒渉としょうし、向う側を左に下るとアゾ原に出た。そして不思議な光景に目を奪われた。午後二時四十分。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
黒川(戸台川)を右に左に五、六回も徒渉としょうして、薮沢と赤河原との合流点で一休みした。
木曽駒と甲斐駒 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
桑崎山の東にあたる辺には、大滝や深淀などという徒渉としょうに困難な場所があって、谷の中を遡ることは相当に骨が折れる。殊に北俣川の合流点は黒部の祖母ばば谷に似て恐ろしく谷が深い。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
水みちが広い河原を崖から崖へと蛇行しているので、幾回か浅い徒渉としょうを繰り返した。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
徒渉としょうも架橋も或場所を除くの外行い難いことが大なる原因をなしているのである。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
従って徒渉としょうするにも危険のおそれが少ない。そこを狙って古くから信州と越中との交通路が開かれた、これがスバリ越即ち針ノ木峠をえて黒部川を横断し、ザラ峠を経て立山温泉に至る路である。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
元橋という所で三国街道を離れ、浅貝川を徒渉としょうし、それから清津川に沿うて西に入ること四時間ばかりで、赤湯山の西北に在る赤湯温泉に達する。途中わらび独活うどと筍(根曲り竹)の多いのには一驚した。
三国山と苗場山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)