寵姫ちょうき)” の例文
御息所のほうでは院に寵姫ちょうきが幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「今、おまえは、わしの眼をぬすんで、貂蝉ちょうせんへたわむれようとしたな。——わしの寵姫ちょうきへ、みだらなことをしかけようとしたろう」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「やっぱりわしにはあの塚は、南朝に関係ある武将などの、寵姫ちょうきかないしは夫人などの、古塚のように思われますがな」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
門は地味な衡門かぶきもん。それが当節飛ぶ鳥を落す、将軍寵姫ちょうき外戚がいせき、土部三斎の住居であった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
八重垣というのはこの竜造寺家幾代目かの寵姫ちょうきである。戦乱の収まって以来、戦勝者が本藩を建て、竜造寺家はその支藩の名の下にこの土地に封ぜられた。その八重垣姫には落度があった。
傍には秋壑の寵姫ちょうきが綺麗に着飾ってたくさん坐っていた。欄干の下を一艘の小舟が通って往ったが、舟の中には二人の黒いずきんをつけて白い服を著た美少年が乗っていた。それを見つけた女の一人は
緑衣人伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
当時この皇帝の寵姫ちょうきに、評判の美女でマルシャという才気煥発な女がありまして、この女がまた帝にしんにゅうをかけたような浪費家であり、なかなか姦智かんちけて事々に愚かな帝を操縦しておりましたので
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
したがつてまた愛も新らしく且つ濃いはずの寵姫ちょうきであつた。
鸚鵡:『白鳳』第二部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
院の御寵姫ちょうきの尚侍の所へは、その人の姉である夫人から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
廉子ときけば、后町きさきまち局々つぼねつぼね、あまたな寵姫ちょうきも、みなおしゅうとめのようにおそれはばかっているのである。それに内侍はいつか帝のおたねをやどしていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今日までは確かでござります。無垢むく処女おとめでござります。しかし明日は解りませぬ。いや明朝明けの鐘と共に鬼王丸の若い寵姫ちょうきになられるはずでござります」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、将軍の寵姫ちょうきは、一俳優わざおぎの前で、だだっ子らしい愛らしさで激しくかぶりを振って
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
一ノ皇子、中務なかつかさノ宮尊良たかながは、みかどがまだ皇太子時代の寵姫ちょうき冷泉為子れいぜいためこのお腹であるが、そのおん母為子は、後醍醐の即位も見ずに亡くなっている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陛下の寵姫ちょうきを盗みたてまつるようなことをしても、これほどの熱情で愛している相手であったなら、処罰を快く受けるだけで、このやましさはないはずである。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
人目をしのび、世を忍ぶ、公方くぼう寵姫ちょうき、権門土部三斎のむすめ浪路に、冬の長夜を、せめては、小間こまに風情を添えようと、乳母がととのえてくれた、朱塗り行灯あんどんの、ほのかな灯かげをみつめながら
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
ところが、帝の父、鳥羽上皇もまた、寵姫ちょうき藤原得子とくこ(美福門院)とのあいだに、皇子体仁なりひとの誕生をみられた。
朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫ちょうきった日もいのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それは、龍興が、あまりに時勢にくらく、おごり長じ、こういう席にさえ、日ごろの寵姫ちょうきはべらせて、すぐに
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唐の国でもこの種類の寵姫ちょうき楊家ようかじょの出現によって乱がかもされたなどとかげではいわれる。今やこの女性が一天下のわざわいだとされるに至った。馬嵬ばかいの駅がいつ再現されるかもしれぬ。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
寵姫ちょうきの三位ノ局廉子やすこも、吉田定房の名を聞くのさえ、「裏切り者」へのさげすみと「密告者」という憎しみに、身もくようなまゆをちらと、みかどへ、して見せた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御所には中宮ちゅうぐうが特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また弘徽殿こきでん女御にょごという寵姫ちょうきもおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。
源氏物語:30 藤袴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
また、呉氏の妹にあたる孫堅の寵姫ちょうきからは、孫朗そんろうという男子と、じんという女子との二人が生れていた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白河天皇のかくし御子みこであったといわれ、生母はその寵姫ちょうきである。彼の子弟には、貴公子風の文化人が多い。九人の子女はみな傾国の美や佳人の園生であったという。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清盛の母、祇園女御ぎおんのにょごは、白河帝の寵姫ちょうきで、帝より忠盛の妻に賜わり、後、清盛を産んだもの。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大奥に寵姫ちょうきの数を殖やし、将来、無益で徒食としょくの権利だけのある子どもを幾十人も生ませ、塗炭の民の上に、金殿玉楼の、生ける身のひつぎをもって老いを待つだけの事でしかない。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
眉目みめきひとりは、彼の寵姫ちょうきでもあった。なにしろここには、緋の袴に白袖の神のつかが「——かもめの群れ居たるによく似たり」と旧記にもあるほどたくさんにいたらしい。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というのは、その寵姫ちょうきが、どうも、身分の低い女性であったことによるものらしい。
今上きんじょう徽宗きそう皇帝の後宮三千のうちに、慕蓉貴妃ぼようきひという皇帝の寵姫ちょうきがいる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、おそばにいた寵姫ちょうき廉子やすこが、そっと、みかどへ、ご注意した。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)