“ちょうき”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:チョウキ
語句割合
寵姫53.8%
弔旗17.9%
寵妃5.1%
長跪5.1%
倀鬼2.6%
張既2.6%
張耆2.6%
彫几2.6%
趙岐2.6%
重規2.6%
釣季2.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「今、おまえは、わしの眼をぬすんで、貂蝉ちょうせんへたわむれようとしたな。——わしの寵姫ちょうきへ、みだらなことをしかけようとしたろう」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
百カ日が過ぎたばかりのまだごたごたとにぎやかな墓には、よれよれになった寒冷紗かんれいしゃ弔旗ちょうきなども風雨にさらされたまま束ねられて立っている。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
しゅう幽王ゆうおうに一人の寵妃ちょうきがあった、ところが、彼女は笑ったためしがない。
級尽レバ則チ神祠ニシテ結構すこぶる壮麗ナリ。尸祝ししゅくニ就イテ幣物へいもつヲ進ム。烏帽うぼう祭服ノ者出デヽ粛トシテ壇上ニク。余長跪ちょうき黙祷もくとうシテ曰ク皇上万寿無疆むきょうナレ。今ワガ部内年穀ノ登ルアリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
郷人曰く村中つねにこの怪あり、虎鬼と名づくと。虎に騎った女鬼が人を杖で突いて腹痛がらせ外出して虎に搏たれしむるので、上に言った倀鬼ちょうきの類だ。
支那で倀鬼ちょうきづけて虎に食われた人の霊が虎に附き添い人を導いて人を殺させ、また新しい死人の衣を解くと信じ、インドにもこの話あり(『日本及日本人』一月号二三二頁)。
張既ちょうきあざな徳容とくようという者がいます。高陵の生れです。これを京兆けいちょういんにお用い下さい。張既と力を協せて、必ず、丞相をして二度と西涼のゆうをなからしめてみせます」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『五雑俎』五に、宋の張耆ちょうき四十二子あり、〈諸姫妾の窓閣皆馬厩に直す、馬○○するごとにはなってこれを観せしめ、随いて御幸するあれば孕を成さざるなし〉(『日本紀』武烈紀八年の条参照)。
酔死道人没ス。ソノ妻村山氏道人ノ遺墨ト柿木ノ彫几ちょうきおのレノ糸累黍積しょせきスル所トヲ出シテ不朽ヲはかリ、文ヲ余ニ請フ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
董卓は、早速、帝に奏して、詔を奏請し、太傅たいふ馬日磾ばじってい趙岐ちょうきのふたりを勅使として関東へ下した。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
説文会には島田篁村こうそんも時々列席した。篁村は武蔵国大崎おおさき名主なぬし島田重規ちょうきの子である。名は重礼ちょうれい、字は敬甫けいほ、通称は源六郎げんろくろうといった。艮斎、漁村の二家に従学していた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
白ギスも、昔からみるとだんだん釣季ちょうきが遅れてきた。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)