弔旗ちょうき)” の例文
一方、呉の兵船は、弔旗ちょうきをかかげて、国へ帰り、孫策は、父のひつぎを涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿きょくあの原に、荘厳な葬儀を執り行った。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
百カ日が過ぎたばかりのまだごたごたとにぎやかな墓には、よれよれになった寒冷紗かんれいしゃ弔旗ちょうきなども風雨にさらされたまま束ねられて立っている。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
黒い布で包んだ球を見たとき、余はしゃ金箔きんぱくを巻いた弔旗ちょうきの頭を思い出した。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
初めの日、蜀の軍が、夕方からたくさんに五丈原から西方の谷間に集まりました。そして白の弔旗ちょうきと黒い喪旗もきを立てならべ、一つの蓋霊車がいれいしゃ
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日、漢中王の名をもって、蜀中には発せられ、成都宮の南門には、関羽を祭る壇が築かれ、そして雪積む冬中も弔旗ちょうきは寒天に凍っていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて木門道から取り上げてきたしかばねに対して、帝は厚き礼を賜い、洛陽を人と弔旗ちょうきに埋むるの大葬を執り行って、いよいよ、討蜀の敵愾心てきがいしんを振起させた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いやいやそうではない。貴公はまだ知らんのだ。玄徳の正室甘夫人は、病に斃れてなくなっている。赤壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしていたが、間者の報らせでは、荊州城には白い弔旗ちょうき
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、随処ずいしょ弔旗ちょうきが垂れていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)