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かんえい
ふりがな文庫
“
寛永
(
かんえい
)” の例文
この郡山の金魚は
寛永
(
かんえい
)
年間にすでに新種を
拵
(
こしら
)
えかけていて、以後しばしば
秀逸
(
しゅういつ
)
の魚を出しかけた気配が記録によって
覗
(
うかが
)
えることである。
金魚撩乱
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
まだ
寛永
(
かんえい
)
年代のことではあったが、単に兵法家というだけで新知千石を求めるのは相当なものである。しかし忠宗は
松林蝙也
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
遠く
寛永
(
かんえい
)
時代における徳川将軍の上洛と言えば、さかんな関東の勢いは一代を圧したもので、時の主上ですらわざわざ二条城へ
行幸
(
ぎょうこう
)
せられたという。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
暫
(
しばら
)
く事を歴史に徴するに、わが劇場の
濫觴
(
らんしょう
)
たる
女歌舞伎
(
おんなかぶき
)
の舞踊は風俗を乱すの
故
(
ゆえ
)
を
以
(
もっ
)
て
寛永
(
かんえい
)
六年に禁止せられ
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
寛永
(
かんえい
)
十五年正月、
島原
(
しまばら
)
の
乱
(
らん
)
が片づき、つづいて南蛮鎖国令が出て後、
天文
(
てんもん
)
十八年以来百余年の長きにわたり
青銅の基督:――一名南蛮鋳物師の死――
(新字新仮名)
/
長与善郎
(著)
▼ もっと見る
もっとも、ほかの世間は、余りにも
紛
(
まぎ
)
れるものが多すぎた。
寛永
(
かんえい
)
元和
(
げんな
)
の戦国期にわかれを告げて六十年余、江戸の文化は、
芳醇
(
ほうじゅん
)
な
新酒
(
しんしゅ
)
のように
醗酵
(
はっこう
)
して来た。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光が
嗣
(
つ
)
ぐことになったのである。それから三年目の
寛永
(
かんえい
)
三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。
鳥辺山心中
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
寛永
(
かんえい
)
十六年四月十六日の早朝。
陸奥国
(
むつのくに
)
会津
(
あいづ
)
四十万石
加藤式部少輔明成
(
かとうしきぶのしょうゆうあきなり
)
の家士、
弓削田宮内
(
ゆげだくない
)
は若松城の南の方で、突然起った
轟音
(
ごうおん
)
にすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。
討たせてやらぬ敵討
(新字新仮名)
/
長谷川伸
(著)
男達
(
おとこだて
)
と云うものは
寛永
(
かんえい
)
年間の頃から
貞享
(
ていきょう
)
元禄
(
げんろく
)
あたりまではチラ/\ありました。
業平文治漂流奇談
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
従って、申上げようと思ったと致しましても、全然その材料を欠いているような始末でございます。ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、
寛永
(
かんえい
)
御前仕合
(
ごぜんしあい
)
と申す講談でございました。
二つの手紙
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
平次が活躍して来た、
寛永
(
かんえい
)
から
明暦
(
めいれき
)
の頃は、まだ大したことはありません。
銭形平次捕物控:007 お珊文身調べ
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
わたくしは現に蒐集中であるから、わたくしの「武鑑」に対する知識は
日々
(
にちにち
)
変って行く。しかし今知っている
限
(
かぎり
)
を言えば、馬印揃や紋尽は
寛永
(
かんえい
)
中からあったが、当時のものは今
存
(
そん
)
じていない。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
元禄
(
げんろく
)
を境とし遠くは
寛永
(
かんえい
)
頃まで溯るものを初期とし、大きさはほとんど長版である。最初は仏画のみであったことは文献の示すとおりである。だが漸次
寓意
(
ぐうい
)
を含むある特種な一定の画題を生じた。
工芸の道
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
第一は主家の改易であった、その年、つまり
寛永
(
かんえい
)
四年正月、
下野守忠郷
(
しもつけのかみたださと
)
が二十五歳で
病歿
(
びょうぼつ
)
すると、
嗣子
(
しし
)
の無いことが原因で会津六十万石は
取潰
(
とりつぶ
)
しとなった。
日本婦道記:二十三年
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
世の中が変っている、わしが江戸を出た時からもう
元和
(
げんな
)
寛永
(
かんえい
)
の世の中ではなかった。それから十幾年……
鳴門秘帖:05 剣山の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寛永
(
かんえい
)
十年以来、日本国の一切の船は海の外に出ることを禁じられ、五百石以上の大船を造ることも禁じられてからこのかた、この国のものが海外の事情に暗かったように
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
寺を語れば、
行人坂
(
ぎょうにんざか
)
の大円寺をも語らなければならない。行人坂は下目黒にあって、
寛永
(
かんえい
)
の頃、ここに
湯殿山
(
ゆどのさん
)
行人派の寺が開かれた為に、坂の名を行人と呼ぶことになったという。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
寛永
(
かんえい
)
九年十二月九日御先代
妙解院殿忠利公
(
みょうげいんでんただとしこう
)
肥後
(
ひご
)
へ御入国遊ばされ候時、景一も
御供
(
おんとも
)
いたし候。十八年三月十七日に妙解院殿卒去遊ばされ、次いで九月二日景一も病死いたし候。
享年
(
きょうねん
)
八十四歳に候。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
元和
(
げんな
)
か、
寛永
(
かんえい
)
か、とにかく遠い昔である。
おぎん
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
話はここで十八年まえ、すなわち
寛永
(
かんえい
)
十八年(一六四一)にかえる、ところは
駿河
(
するが
)
のくに田中城下、新秋の風ふきそめる八月のある日の午後のことであった。
日本婦道記:箭竹
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
川島郷の七人衆の原士、あの方々も
寛永
(
かんえい
)
の昔、
島原
(
しまばら
)
の一
揆
(
き
)
戦
(
せん
)
がみじめな敗れとなった時、
天草灘
(
あまくさなだ
)
から海づたいに、阿波へ
漂泊
(
ひょうはく
)
してきた落武者の子孫なのでございました。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寛永
(
かんえい
)
十年以来、日本国の一切の船は海の外に出ることを禁じられ、五百石以上の大船を造ることも禁じられ、オランダ、シナ、朝鮮をのぞくのほかは外国船の来航をも堅く禁じてある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
寛永
(
かんえい
)
、
正徳
(
しょうとく
)
以来、ここ五、六十年間の通し矢は、御三家や各藩士の間でばかり競技が行われて来ていたが、今度は、
遍
(
あまね
)
く天下の隠れたる
弓仕
(
ゆみし
)
に、あの
曠
(
は
)
れの場所が与えられ
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“寛永”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。元和の次で、正保の前。1624年2月30日から1644年12月16日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
“寛永”の解説
寛永 (かんえい、寛󠄁永)は、日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1644年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。
(出典:Wikipedia)
寛
常用漢字
中学
部首:⼧
13画
永
常用漢字
小5
部首:⽔
5画
“寛永”で始まる語句
寛永寺
寛永通寶
寛永銭
寛永頃
寛永以来
寛永年間
寛永通宝
寛永通寳