いつわ)” の例文
小さな叫び声で「おっかあ、おめえつくばろうとしてるな。——おうい、とうちゃん!」と言い、そして、そういういつわりの警報を発してから
計介苦痛を忍びながら、いつわって臆病な百姓の風を装ったので、幸い間諜の疑いは晴らされたが、その代り人夫として酷使される事になった。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
おたきのいつわらざる本心が咄嗟にあらゆる計算をふみはづしてその全貌を暴露してゐた。一日の米に価ひしない子供であつた。
老嫗面 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
呉一郎殿がまことの狂気かいつわりかが相判あいわかりますることが、罪人となられるか、なられぬかの境い目とうけたまわりますれば、何をお隠し申しましょう……。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
われわれの前にあの方のいつわられていた brilliant な調子のためすっかりおおいかくされていたに過ぎないように思われるものだった。
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
とは言うものの、「いつわりのうそ」でも結局それがほんとうに活きていた人間の所産である限り、やはりそれはそれとしての標本として役立つかもしれない。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
一人名はシマンタムバ、この者ソグノ伯が新王擁立の力あるを以て、請うてその女をめとり、伯いつわってこれを許し、娘と王冠を送るを迎えた途中で掩殺えんさつさる。
しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にかいつわりの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
が、順慶の告白のうちで最も奇異の感に打たれるのは、彼は最初はほんとうに失明したのではなく、座頭の資格を得るためにいつわって盲人になったのであった。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
が、そう思うしりから、彼の無事な顔を不意にみた家のものたちの驚喜、いそいそと、またおろおろと彼を迎える肉親のいつわりのない表情が、想像できなくもない。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
さうして絶えず妹の側へつききりになつて、彼が兄に対する愛情とその不可思議な運命とに関心を持つてゐるものだといつわつて、そくそく彼女に言ふことを聞かせた。
前日、某氏の別筵べつえんに、一老生、いつわりて酔態をし、抗然として坐客を品題して曰く、某は十万石の侯なり、某は十五万石の侯なりと。各々低昂ありて、頭より尾に到る。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ある人妻がいつわって、井戸の中に身を投げたように見せかけて、どれ程夫が嘆き悲しむか、それに依って夫の、自分に対する愛情を測ると云う話を読んだことがございました。
遺書に就て (新字新仮名) / 渡辺温(著)
燕王弁疏べんそする能わざるところありけん、いつわりて狂となり、号呼疾走して、市中の民家に酒食しゅしを奪い、乱語妄言、人を驚かして省みず、あるいは土壌にして、時をれど覚めず
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
当人の公言するごとくいつわりなき事実ではあるが、いまだに成効せいこう曙光しょこうを拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値かけねこもっていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
現実とは、もしそれが実現を俟つ概念でなければいつわりである。かくて歴史の現実性——歴史的現段階性——は或る意味に於ける実践概念を俟つのでなければ誤りであるであろう。
イデオロギーの論理学 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
私は辰夫に、昨日は多忙で君の家へ廻れなかつたといつわりを言はねばならなかつた。併し毎日頼まれるので、私も根気よく毎日辰夫の母を訪ねた。
(新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
菜穂子はそのお辞儀の仕方を見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから何かしら自分自身にいつわっていた感情のある事を鋭く自覚した。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
これは昔虹汀こうてい様が、その絵巻物を焼いたといつわって実は、もとの形のままにして仏像へ納めておかれたものではあるまいか。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
上帝はそれぞれの職を勉めいつわらず正しく暮す者を愛すと、アントニウスまことに大聖だったが、この貧乏至極な履工は、上帝の眼に、アントニウスと何の甲乙なかったと。
彼は論理の権威で自己をいつわっている事にはまるで気が付かなかった。学問の力で鍛え上げた彼の頭から見ると、この明白な論理に心底しんそこから大人しく従い得ない細君は、全くの解らずやに違なかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
王急に走りてつつみに登り、いつわってむちさしまねいで、後継者を招くが如くしてわずかまぬかれ、而してまた衆を率いてせて入る。平安鎗刀そうとうを用い、向う所敵無し。燕将陳亨ちんこう、安の為に斬られ、徐忠亦きずこうむる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私は辰夫に、昨日は多忙で君の家へまわれなかったといつわりを言わねばならなかった。併し毎日頼まれるので、私も根気よく毎日辰夫の母を訪ねた。
(新字新仮名) / 坂口安吾(著)
私は心の圧しつぶされそうなのをやっとこらえながら、表面だけはいかにももの静かな様子をいつわっていた。
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
(但し、藤波氏は全然無関係)コンドルはくして小生の妻にいつわりの親切を尽す一方
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
いつわりのない愚見だ」とまた主人が寸評を挿入そうにゅうする。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
蓮池の自宅の奥に数寄すきらいた茶室を造って、お八代に七代とかいう姉妹の遊女を知行所の娘といつわって、めかけにして引籠もり、菖蒲しょうぶのお節句にも病気と称して殿の御機嫌を伺わなんだ。
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
静かに、今のままのよそよそしい生活に堪えていようという気力がなくなったのではなく、そのように自己をいつわってまで、それに堪えている理由が少しも無くなってしまったように思えたのだ。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そのいつわりの大胆と、面に似た白痴めく虚しさが美しかつた。
そこいら界隈の村里へ出て、美しい女を探し出すと、れ馴れしく側へ寄って、あなたの絵姿を描いて差上げるからといつわって、山の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしようと企てたが……
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それが手紙を書く彼女の気持をいつわらせた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
何卒どうぞわたくし共一同のいつわりのない赤心まごころをお酌み取り下さいまして、この上とも末永く御贔屓を賜わりますように、団員一同を代表致しまして、わたくしから幾重にもお願い申上る次第でございます
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)