“げんしょう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ゲンショウ
語句割合
現象50.0%
元宵12.5%
元正8.3%
元章4.2%
元霄4.2%
沅湘4.2%
減少4.2%
現証4.2%
舷牆4.2%
阮小4.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
最初さいしょ彼女かのじょおこった現象げんしょうしゅとして霊視れいしで、それはほとんど申分もうしぶんなきまでに的確てきかく明瞭めいりょう、よく顕幽けんゆう突破とっぱし、また遠近えんきん突破とっぱしました。
華やかに扮装いでたった鉄騎五百人と軍楽隊との“元宵げんしょうの行列”にまもられて城中の“初春はるうたげ”から退がってきた梁中書りょうちゅうしょの通過を、男女の見物人とともに見送っていたものらしいが
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元正げんしょう天皇、養老七年夏五月芳野離宮に行幸あった時、従駕の笠金村かさのかなむらが作った長歌の反歌である。「白木綿」はたえかじ(穀桑楮)の皮から作った白布、その白木綿しらゆうの如くに水の流れ落つる状態である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
元六番歩兵隊長箕浦猪之吉は、源姓みなもとせい、名は元章げんしょう仙山せんざんと号している。土佐国土佐郡潮江うしおえ村に住んで五人扶持、十五石を受ける扈従格こじゅうかくの家に、弘化元年十一月十一日に生れた。当年二十五歳である。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼は毎年正月十五日から五日のあいだは、明州府の城内に元霄げんしょう(陰暦正月十五日の夜)とうをかけつらねて、諸人に見物を許すことにしていたので、そのよいよいの賑わいはひと通りでなかった。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
こういう大都会の中の川は沅湘げんしょうのように悠々ゆうゆうと時代を超越していることは出来ない。現世は実に大川さえ刻々に工業化しているのである。
本所両国 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
文化の進歩とともに昔時せきじのごとき蛮勇ばんゆうの必要はいちじるしく減少げんしょうしたけれども、思慮しりょと判断力とにおいて多々たたますます進むにあらざれば、男一匹として女子にまさるの理由を失うにいたる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「我身も田園等をもちたる時もありき。また財宝を領せし時もありき。の時の身心しんじんとこのころ貧うして衣盂えうにともしき時とを比するに、当時いまの心すぐれたりと覚ゆる、これ現証げんしょうなり」(同上第三)。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
二人が上甲板へあがってゆくと、舷牆げんしょうにすえつけた放出機トラップのまわりに船長や客が船員が十四五人ばかり集まって競技をはじめている。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
それが……必死の防ぎで、からくも、鴨嘴灘おうしたんから金沙灘きんさたんの岸まで、ちささえてはきましたが、残念なことに、兄弟分の張横ちょうおう阮小げんしょう七の二人が、関勝かんしょうの手に捕虜とされてしまいました。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)