もういうまでもなく、彼が訪ねようと慕って来た人とは、その後、この地に隠棲したと聞いている兵学の師、毛利時親なのである。
彼はこの家の周囲から閑居とか隠棲とかいふ心持に相応した或る情趣を、幾つか拾ひ出し得てから、妻にむかつてかう言つた。
長い隠棲の後一八〇八年、七十七歳のハイドンは、自作「創造」の演奏に臨んだ。老大作曲家の最後の思い出だったのである。
この作を見るに、竹渓は文化の末年その齢五十を越えた時には既に致仕して上野に近い某処に隠棲していたように思われる。
西洋人がいくらもがいて見ても、結局はカトリツクの信仰に舞ひ戻るやうに、おれなぞはだんだん年をとると、隠棲か何かがしたくなるかも知れない。