郷士ごうし)” の例文
ここの富士浅間ふじせんげん山大名やまだいみょうはなにものかというに、鎌倉かまくら時代からこの裾野すその一円にばっこしている郷士ごうしのすえで根来小角ねごろしょうかくというものである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この輩を名づけて国侍・地侍じざむらいまたは郷士ごうしと称えている。地侍の鎮撫ちんぶ策は、新たなる国持衆くにもちしゅうの最も取扱いに困難したる問題である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのいわれを尋ねると、昔南粂郡みなみくめごおり東山村ひがしやまむらという処に、東山作左衞門ひがしやまさくざえもんと申す郷士ごうしがありました。すこぶ豪家ごうかでありますが、奉公人は余り沢山使いません。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
由来造酒は尾張国、清洲在の郷士ごうしせがれで、放蕩無頼且つ酒豪、手に余ったところから、父が心配して江戸へ出し、伯父の屋敷へ預けたほどであった。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その中堅をもって任ずる土佐兵にしてからが、多分に有志の者で、郷士ごうし、徒士、従軍する庄屋、それに浪人なぞの混合して組み立てた軍隊であった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
秩父の郷士ごうしの出で、豊臣の流れをくんでいるところから、徳川の世を白眼ににらんでいる巷の侠豪、蒲生泰軒居士がもうたいけんこじ
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
たちま崩潰ほうかいした程であるから、沿道の小名郷士ごうしの輩はふうを望んで秀吉の軍門に投じたのであった。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
向島むこうじま白鬚しらひげ神社の境内に毅堂の姓名を不朽ならしめんがため、その事蹟と家系とを記した石碑が今なお倒れずに立っている。鷲津氏の家は世々尾張国おわりのくに丹羽にわ郡丹羽村の郷士ごうしであった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
義兄の辰雄に苦い顔をされたことを今も覚えているのであるが、辰雄は関ヶ原役の軍記物などにも名が出ていると云う郷士ごうしの菅野家を親戚しんせきに持っていることが、余程自慢であるらしく
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おれだって田舎の貧乏郷士ごうしせがれだし、豊臣秀吉という人は、水呑み百姓から太閤たいこう殿下といわれるまでになった、生れや育ちよりも、いまなにをするか、これからなにをしようとしているか
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「この山の上の望月もちづき様という郷士ごうし様のお邸へお嫁様が参りなさるそうで」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「家中ではないが、備中玉島の郷士ごうし千原せんばら九右衛門という。いま陣中ではもっぱらこの附近の絵図面などをつくらせておるが」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八丈の宗福寺などは昔から女房持で、且つ郷士ごうしのように裕福であった。そういう御寺の鐘の音を聴きながら、自分はその日の食い物にも屈託している光景である。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
青山家の先祖が木曾にはいったのは、木曾義昌よしまさの時代で、おそらく福島の山村氏よりも古い。その後この地方の郷士ごうしとして馬籠その他数か村の代官を勤めたらしい。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ひょうひょうと風のごとく、ねぐらさだめぬ巷の侠豪、蒲生泰軒がもうたいけん先生。秩父ちちぶ郷士ごうしの出で、豊臣の残党だというから、幕府にとっては、いわば、まア、一つの危険人物だ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かれは早水秀之進といい、讃岐さぬきの国高松藩の郷士ごうしの子であった。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「加賀大聖寺の郷士ごうしの伜、石川五右衛門にござります」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
野心家でそして野人的な、郷士ごうし関久米之丞せきくめのじょう住居すまいがそれです。——そこは武蔵野の西端で立川の流れを越えれば八王子の宿に遠くありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔の古い書物には、村に住んでいた武家を郷士ごうしもしくは郷侍ごうざむらいといった。近世のいわゆる郷士とは大分性質の違ったものである。あるいはまたこれを国侍とも地侍ともいった。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「野放しでは手が付けられない、領内に住んではいるが、一粒の扶持ふちも貰っていない郷士ごうしだ、天下の法に触れない限り、取って押えることはできない、これがもし家臣なら、邪魔だと思えばどうにでも片づけることができる、そこで召し出しというわけか」
途中、駕側かごわき郷士ごうしが、肩を代えることは度々たびたびでしたが、休むということもなく、足取りのゆるくなることもありませんから、何を問う機会もない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柳生谷に古い豪族ではあるが、今は無禄むろく郷士ごうしにすぎない。当然、柳生父子おやこは庭へまわって、地上に座を占めた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大庄屋の息子と、老百姓が二、三名と、それをきつけてる郷士ごうしの伜とが、こっそり籾蔵もみぐらから帰って行った。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
「人違いであろう、拙者は武蔵野の郷士ごうし関久米之丞というもの、刀を引かッしゃい! 話があれば承ろう」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肥前ひぜん郷士ごうし浪島五兵衛なみしまごへえともうすもので、二、三人の従者じゅうしゃもつれた、いやしからぬ男でござります」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女の母は、まだ彼女の生れぬ頃、豊後ぶんごの片田舎の郷士ごうしの子息に、乳人めのととして乳の奉公をしていた事がある。その貧しい郷士の子が、今の敦賀城の大谷刑部であった。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれの親達が以前仕えていた新免しんめん伊賀守様は、浮田家の家人けにんだから、その御縁をたのんで、たとえ郷士ごうしせがれでも、槍一筋ひっさげて駈けつけて行けば、きっと親達同様に
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浪島という、郷士ごうしのまなこが、そのときいような光をおびて、声の調子まで、ガラリと変った。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿波の原士はらしというのは、他領の郷士ごうしとも違い、蜂須賀家はちすかけの祖、小六家政ころくいえまさが入国の当時、諸方から、昔なじみの浪人が仕官を求めてウヨウヨと集まり、その際限なき浪人の処置に窮して
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相馬、笠間などの大小名をはじめその家臣、郷士ごうし、町人、それを観る雑多な民衆——なにしろおびただしい人出である。この地方の文化が興ってから始めての盛観だという老人もある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宇治の郷士ごうしでもあろうか、粗末な野太刀をいた老人だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「加藤政次まさつぐという郷士ごうしの後家でござりまする」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)