)” の例文
「いずれの申し条も道理であれば、中川も一線に陣取れ。高山ももちろん一番合戦の所に出て、ことばにじぬ功名を取ったがいい」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つみなくしてあやまちを得る者は非常の人、くっして、後世こうせいぶ。罪ありてあやまちをまぬかるる者は奸侫人かんねいじんこころざし一時に得て、名後世にず。いにしえてん定まりて人に勝つとはれなり
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「遺族にお別れをさせるつもりだったのか、それともじしめるつもりだったのか。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
上絵だけを付けて、魯山人作の銘をつけて来たことが今更にじられた。それは詐欺の行為であったからである。生地を他人に作らせ、上絵付けを自分がするのは、合作であって自作ではない。
なぜ作陶を志したか (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
妻の賈氏こしもいそいそすすめ、李固も何かともてなすので、は自分の小心をじ、その晩はわれから機嫌を直してしんに就いた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし張輿の上の二人——俊基の眉にも、資朝の姿にも、人目をじる風はなかった。悪びれず、こわばらず、群集には、それが立派にすら見えた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後、魏の動静を見ていると、曹休は、石亭の大敗を、ふかくじ恐れて、洛陽へ逃げもどっていたが、間もなく癰疽ようそを病んで死んでしまった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魔符まふがそれに封じ込まれてあると分っていても、封を破ってぬすみ見るようなことは武門としてゆるされもせず、官兵衛としても自己にじる。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顕氏と国清のふたりは、和睦の不成功にじて、尊氏にいとまを願った。国元へ引っ込んで、剃髪したいというのである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関勝かんしょうは、かえって、なにかじてしまった。つまらない糺問きゅうもんをしたとは思いながら怏々おうおうと、こころも愉しまず、幕舎を出て、独り寒月を仰いでいた。すると——
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
抑えようもなく心の底にむらむら起ってくるふしぎなねたみ心を自らじて、打ち払おうと努めていたが、結果は、われにもなくその理性と反対なことを口にだしていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じてはじひるむな。ふたたび大都督として戦場にき、さきの戦訓を生かして、孔明をやぶれ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
窮地となっても、意地きたなく、小心狡智こうち、あらゆる非武士的な行為にみずからじても、飽くまで生きて帰るところへ帰ることをもって、乱波組に働く者の本旨とする。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それもこれも官兵衛を離反の賊と疑って、一時の感情にまかせたためであることを思うと、自らには深くじ、彼にたいしては、主君として、合わせる顔もない気がする。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思えば、あの二人はわしに取ってもおいのようなものだ。時代は移ってきた。国家の上将じょうしょうたり朝廷の重臣たる自分も、老いてはやはりあの若者たちにもかなわない。ずべきだ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と呉にやぶれたことを、今なおふかくじているらしく、そのたび眉をひそめられた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一心同体の感情にあるので、べつな所の失策も、自分の失策として、自身に怒り自身をじしめる気持からではあろうが、勝家の場合に見ても、その憤激の向けどころがまるで違っている。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
楊修は、身をずるかの如く、顔あからめたまま、しばしうつ向いていたが
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なにも自分だけのように、ずるには当らん。煩悩ぼんのうは人すべてのものだ」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それをこんな、あられもない町屋敷へ、妻にと、下賜されて来たことを考えてみたがよい。そのわたくしに、手をあげたり、ずかしめたりすることは、取りも直さず、上皇さまへの叛逆はんぎゃくです。
丹波国にある惟任日向守これとうひゅうがのかみの働きをみろ、天下に面目をほどこしているではないか。次には山陽数ヵ国を平定している筑前守秀吉ちくぜんのかみひでよしにもじたがよい。小身でも池田勝三郎は、花隈はなくま城を攻めおとしている。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、いつもじた。頼朝は十三で配所はいしょの身(流罪)となり、寸土も一兵も持たない身からったのである。——自分は小さくとも足利ノ庄の守護であり、鎌倉では、前執権守時の弟ともいわれている。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じないではいられない。どう考えても自分はおとる。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、むしろじ入るように辞を低めるのが常だった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
死者のすがたが眼にうつると、宗湛はみずからじた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じ入る次第じゃ。このとおりそちに詫びる
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)