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ふりがな文庫
“
草廬
(
そうろ
)” の例文
兄はただ今より即ち皇叔に附随して
新野
(
しんや
)
の城へゆくであろう。汝は、
嫂
(
あによめ
)
をいつくしみ、
草廬
(
そうろ
)
をまもって、天の時をたのしむがよい。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜀漢
(
しょくかん
)
の
劉備
(
りゅうび
)
、
諸葛孔明
(
しょかつこうめい
)
の
草廬
(
そうろ
)
を三たび
訪
(
と
)
う。これを三
顧
(
こ
)
の
礼
(
れい
)
と言うてナ。
臣
(
しん
)
、もと
布衣
(
ほい
)
……作阿弥殿、御名作をお残しになるよう、祈っておりますぞ。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
余
花卉
(
かき
)
を愛する事人に超えたり。病中猶年々草花を種まき日々水を
灌
(
そそ
)
ぐ事を
懈
(
おこた
)
らざりき。今年
草廬
(
そうろ
)
を麻布に移すやこの辺の地味花に宜しき事大久保の旧地にまさる事を知る。
偏奇館漫録
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
しかし彼は今や、この新たな試みのあとに、スイスの
草廬
(
そうろ
)
に立ちもどって、近来ますますはっきりしてきたある計画の実現を待つことにしても、もうさしつかえあるまいと考えた。
ジャン・クリストフ:12 第十巻 新しき日
(新字新仮名)
/
ロマン・ロラン
(著)
これも実業家の
芽生
(
めばえ
)
で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の
草廬
(
そうろ
)
を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
▼ もっと見る
この稿を草する
半
(
なかば
)
にして、曙覧
翁
(
おう
)
の
令嗣
(
れいし
)
今滋
(
いましげ
)
氏特に
草廬
(
そうろ
)
を
敲
(
たた
)
いて翁の伝記及び随筆等を示さる。
因
(
よ
)
って翁の小伝を掲げて読者の
瀏覧
(
りゅうらん
)
に供せんとす。歌と伝と相照し見ば曙覧翁眼前にあらん。
曙覧の歌
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
八月三日 富士
山麓
(
さんろく
)
山中湖畔
草廬
(
そうろ
)
。
五百五十句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、また、漢の正統を再興するために、剣をとって、
草廬
(
そうろ
)
から起たねばならぬぞと
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ちょうどその
草廬
(
そうろ
)
に腰をおろして駄弁をろうしていたつづみの与吉へ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
我
草廬
(
そうろ
)
を
敲
(
たた
)
きて俳諧を談ず。問ふて曰く。
古池の句の弁
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
太守
(
たいしゅ
)
劉焉
(
りゅうえん
)
、遂に、子民の
泣哭
(
きゅうこく
)
に奮って討伐の天鼓を鳴らさんとす。故に、隠れたる
草廬
(
そうろ
)
の君子、野に
潜
(
ひそ
)
むの義人、旗下に参ぜよ。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
むかし若年の頃、自分が
草廬
(
そうろ
)
のうちで読んだ兵書に、南蛮国には
豺狼虎豹
(
さいろうこひょう
)
を駆使する陣法ありと見えたが、きょうのは即ちそれであろう。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
臣、
草廬
(
そうろ
)
を出てよりはや十余年、
菲才
(
ひさい
)
を以て君に仕え、いま
巴蜀
(
はしょく
)
を取ってようやく理想の一端は実現されたかの感があります。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
世の春秋もよそにして、以来数年のあいだというもの、柳生宗厳は、まったく門を閉じ客を謝して、
草廬
(
そうろ
)
に
籠
(
こも
)
っていた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
秋
(
とき
)
をむなしく
逸人
(
いつじん
)
として
草廬
(
そうろ
)
に
閑
(
かん
)
を
偸
(
ぬす
)
むをいさぎよしとせず、同志張飛その他二百余の有為の
輩
(
ともがら
)
と団結して、劉玄徳を盟主と仰ぎ、太守の軍に入って
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「病間にて、取り散らしておりますが、おゆるしあるなれば、お通りくださいとの、半兵衛様のおことばでした。——何分、
草廬
(
そうろ
)
もお
手狭
(
てぜま
)
でございますから」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、ふたたび、きのうの如く、連れ立って
草廬
(
そうろ
)
を出た。——これもまた、李逵の内心ではヘソ茶ものだった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
富貴栄達を
厭
(
いと
)
う沢庵は、江戸に下って、柳営の一顕僧となるのを余り好まなかったらしい。但馬の
故里
(
ふるさと
)
に、簡素な
草廬
(
そうろ
)
を結んで、静かに風月を友としたかったのである。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
隆中に
草廬
(
そうろ
)
をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで
梁父
(
りょうほ
)
の詩をよく吟じます。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ二十七歳でしかなかった青年孔明が、農耕の余閑、
草廬
(
そうろ
)
に抱いていた理想の実現であったのである。時に、三
顧
(
こ
)
して迎えた
劉玄徳
(
りゅうげんとく
)
の
奨意
(
しょうい
)
にこたえ、いよいよ
廬
(
ろ
)
を出て起たんと誓うに際して
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すぐお出ましあれば、こんどこそ
草廬
(
そうろ
)
に籠っておりましょう——と。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
自分が隆中の
草廬
(
そうろ
)
を出てからというもの、久しい間、つねに天下の賢才を心のうちでさがしていた。それはいささか悟り得た我が兵法のすべてを、誰かに伝えておきたいと思う
希
(
ねが
)
いの上からであった。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
劉予州
(
りゅうよしゅう
)
が、先生の
草廬
(
そうろ
)
を三度まで訪ねて、ついに先生の
出廬
(
しゅつろ
)
をうながし、魚の水を得たるが如し——と歓ばれたという噂は、近頃の話題として、世上にも伝えられていますが、その後、荊州も
奪
(
と
)
らず
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
草廬
(
そうろ
)
の剣
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“草廬”の意味
《名詞》
草廬(そうろ)(歴史的仮名遣い: さうろ)
草葺きの屋根を持つ廬。草屋。草庵。
自分の廬をへりくだっていう語。
(出典:Wiktionary)
草
常用漢字
小1
部首:⾋
9画
廬
漢検1級
部首:⼴
19画
“草”で始まる語句
草鞋
草
草履
草臥
草叢
草原
草木
草鞋穿
草花
草双紙