翌年あくるとし)” の例文
さあ、いろいろはなせば長いけれど……あれからすぐ船へ乗り込んで横浜を出て、翌年あくるとしの春から夏へ、主に朝鮮の周囲いまわり膃肭獣おっとせいっていたのさ。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
翌年あくるとしの三月には、いよいよ三吉もこの長く住慣れた土地を離れて、東京の方へ引移ろうと思う人であった。種々いろいろな困難は彼の前に横たわっていた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
明治四十三年八月の水害と、翌年あくるとし四月の大火とは遊里と其周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷に化せしむる階梯をつくつた。
里の今昔 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そのとしれ、翌年あくるとしになると、不思議ふしぎうんがめぐってきました。汽車きしゃがこのむらとおって、停車場ていしゃじょうちかくにつといううわさがたつと、きゅうにあたりが景気けいきづきました。
くわの怒った話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
次第次第に間遠まどほになり、三日五日の間、それより七日十日の間をへだたり、はじめの程は聞く人も多くありて何の心もなかりけるが、後々は自然とおそろしくなりて、翌年あくるとし
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
芭蕉ばしょうに実がると翌年あくるとしからその幹は枯れてしまう。竹も同じ事である。動物のうちには子を生むために生きているのか、死ぬために子を生むのか解らないものがいくらでもある。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それで翌年あくるとしの二月に開戦になると、出征前に是非盃事さかづきごとをしようと小川家から言出した。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
その翌年あくるとしの春である。日本橋三丁目のとおりの角で、電車の印を結んで、小児演技こどもしばいの忠臣義士をけむに巻いて、姿を消した旅僧が、胸に掛けた箱の中には、同じ島田の人形が入っていたのである。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わし此家こっちへ奉公に来た翌年あくるとしこんだから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年めえのこんだ、何でも二月のはじめだった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家はなれに泊って、三日ばかりいたのサ
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
明治四十三年八月の水害と、翌年あくるとし四月の大火とは遊里とその周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷ろうこうに化せしむる階梯かいていをつくった。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
長患ひの末、母は翌年あくるとしになつて遂に死んだ。程なくして兄は或る芸妓げいしや落籍ひかして夫婦いつしよになつた。智恵子は其賤き女を姉と呼ばねばならなかつた。遂に兄の意にさからつて洗礼を受けた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「妙なものがころがり出してしまってさ、翌年あくるとしの十月のことなのよ。」
化銀杏 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
翌年あくるとし(明治四十二年)の春もなほ寒かりし頃かと覚えたりわれは既に国に帰りて父のいえにありき。上田先生一日いちにち鉄無地羽二重てつむじはぶたえ羽織はおり博多はかたの帯着流きながしにて突然おとづれ来給きたまへり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
父のなくなった翌年あくるとし、祖母と二人、その日の糧にもくるしんでいた折から。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わっし勝山あちらに伺うようになりました翌年あくるとし一昨年おととしですな。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)