みだり)” の例文
濹の字は林述斎が墨田川を言現いいあらわすためにみだりに作ったもので、その詩集には濹上漁謡と題せられたものがある。文化年代のことである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
何しろ、うつくしい像だけは事実で。——俗間で、みだりに扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間ちかまの山寺へ——浜方一同から預ける事にしました。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
終生の失望と遺恨とはみだり断膓だんちようをのふるひて、死苦のかざる絶痛を与ふるを思ひては、彼はよし天に人に憤るところあるも、おそるべき無しとるならん。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ある人々はこれを見て憤り、「なにゆえかくみだりに油を費すか。この油を三百デナリ余に売りて、貧しき者に施すを得たりしものを」と言って、いたく女をとがめた。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
姓名だの紋章だのは、先祖せんそからけて子孫に伝える大切なものである。みだりかくしたりあらためたりすべきものではない。そんな事をしなくては出来ぬ奉公なら、せぬがいといったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
都会が田舎の意志と感情を無視して吾儘わがままを通すなら、其れこそ本当の無理である。無理は分離である。分離は死である。都会と田舎は一体いったいである。農がみだりに土を離るゝの日は農の死である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
みだりにこの箱をあけたりすると、その罪、死にあたる。
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
古人は事に臨んでみだりに情をほしいままにせざる事を以てよみすべきものとなした。喜怒哀楽の情を軽々しく面に現さないのをもっとも修養せられた人格となした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蝋燭ろうそくを、というと、爺が庫裡へ調達に急いだ——ここでみだりに火あつかいをさせない注意はもっともな事である——
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ただにそれのみではない。わたくしは人の趣味と嗜性しせいとの如何を問わずみだりに物を饋ることを心なきわざだと考えている。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
山人の研究を別として、ただ伝説と幻象による微妙なる山姫に対して、みだりなる題名を遠慮した所以ゆえんである。
と肩を一層、男に落して、四斗樽しとだるほどの大首を斜めに仰ぐ。……俗に四斗樽というのはうわばみの頭の形容である。みだりに他の物象に向って、特に銅像に対して使用すべきではない。
政談演説の如きに於ても猶聽衆のみだりに演壇に上つて辯者と相並んで立つ事を許さない。
十年振:一名京都紀行 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
たゞ知己ちかづきの人の通り抜け、世話に申す素通りの無用たること、我がおもひもかはらず、りながらお附合五六軒、美人なきにしもあらずといへども、みだり垣間見かいまみを許さず、軒に御神燈の影なく
草あやめ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
にぎやかなあかるい通りで、血腥ちなまぐさいかわりに、おでんの香がぷんとした。もう一軒、すしの酢が鼻をついた。真中まんなかに鳥居がある。神の名はみだりに記すまい……神社の前で、冷たい汗の帽子を脱いだ。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)