後醍醐ごだいご)” の例文
北条が倒れて、後醍醐ごだいご天皇の御親政は、ほんの僅かの間、また足利氏が出て、武家でなければ治まらなかったのではありませぬか。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
懐良王は、後醍醐ごだいご帝の皇子、延元えんげん三年、征西大将軍に任じ、筑紫つくし鎮撫ちんぶす。菊池武光きくちたけみつこれに従い、興国こうこくより正平しょうへいに及び、勢威おおいに張る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
後醍醐ごだいご天皇さまの第二の皇子がむかし旅をしていらしって、遠く父のみかどをおしたい申したのも、その松の木かげからだと言われております。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
後醍醐ごだいごみかどこそは神武の帝より数えて、九十五代にあたらせ給う。天下一度乱レテ主安カラズ。これは現代いまのよの事なのであろう。東魚来テ四海ヲ呑ム。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼はしばしば京師に献言せり、彼は萩藩府に勧告せり、彼は孝明天皇に向って後醍醐ごだいごたらんことを希い、藩主に向って義貞よしさだ正成まさしげたらんことを望めり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その御遺跡を花の御所、後醍醐ごだいご天皇の御妹であったなとどいう説さえありますが、これもまただいしと姥の神とを、拝んでいたのが始めのようであります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
の詩を、かつて、後醍醐ごだいご隠岐おきへながされる日の途中に、御旅みたび行宮あんぐうの庭に、目に見て引っ返したあの高徳だ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後醍醐ごだいご天皇は隠岐国おきのくにから山陽道に出でたまい、かくて兵庫へ還御かんぎょならせられました。
日本の天皇で有名なのは、神武、天智、後醍醐ごだいご明治めいじの四人であるが、ほんとうに英雄とか、偉人とかいうほどの人物ではなかった。明治以後、天皇尊崇そんすうの名が、政略的に高くかかげられた。
後醍醐ごだいご天皇の延元えんげん元年以来五十余年で廃絶はいぜつしたとなっているけれども、そののち嘉吉かきつ三年九月二十三日の夜半やはんくすのき二郎正秀と云う者が大覚寺統だいかくじとうの親王万寿寺宮まんじゅじのみやほうじて、急に土御門つちみかど内裏だいりおそ
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あたかもよし、京都では、第九十六代後醍醐ごだいご天皇が、即位し給うた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
伯耆ほうき船上山の行在所あんざいしょ——すなわち後醍醐ごだいごのみかどのもとへ——ここの大戦捷を、上奏じょうそうするための早馬だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「幕府より何程逆燄ぎゃくえんを奪い悖逆はいぎゃくの処置ありとも、御頓着とんちゃくなく後鳥羽ごとば後醍醐ごだいご両天皇を目的として、御覚悟定められば、正成まさしげ義貞よしさだ高徳たかのり武重たけしげの如き者累々継出つぎいでんは必然なり」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
後醍醐ごだいご天皇、大塔宮だいとうのみや、竹の園生そのう御方々おんかたがたは、申すもかしこき極みであり、楠木正成くすのきまさしげ新田義貞にったよしさだ名和長年なわながとしというような、南朝方の勤王の士や、北条高時ほうじょうたかとき足利尊氏あしかがたかうじ、これら逆臣の者どもが
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
まことに、今上きんじょう後醍醐ごだいご天皇)としても、公な父皇への御訪問は、即位後、初めての御儀だった。今後とて公な御対面としては、御一代あるかないかもしれないのである。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しこうして彼はその幕府が天子の勅命を奉ぜず、また勅命を待たずして仮条約に調印するを聞くや、いよいよ積日の怒腸どちょう、一時に潰裂し、朝廷に向って後醍醐ごだいご帝の北条氏をはかり給いたる遺策を献ぜり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
それに宋学の造詣ぞうけいもふかく、よく下情に通じ、時局にたいしては、つねに鋭い批判を持ち、またその献策もしばしば用いられるなど、天皇後醍醐ごだいごのおたのみはたいそう深い。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてここはまだ天下混沌こんとんといっていいところだが、奕々えきえきと天の一方からは、理想の到達に誇ッた凱歌のあしおとが近づいて来つつあった。——都門還幸の後醍醐ごだいご龍駕りゅうがであった。
後醍醐ごだいご天皇が笠置山かさぎやま行幸みゆき遊ばされて、官軍を召しつのられた折には、柳生一族からも、中之坊という勤皇僧が出て、笠置衆徒に列し、正成まさしげ帷幕いばくに参じ、建武の復古によく働いた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今上きんじょう後醍醐ごだいごのお動きはいよいよ活溌で、鎌倉など、はや御眼中にありともみえぬ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
特に、天皇後醍醐ごだいごは、お気も烈しい。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先帝せんてい後醍醐ごだいご隠岐おき遠流おんる
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——後醍醐ごだいご退治」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後醍醐ごだいご綸旨りんじ
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)