問屋といや)” の例文
問屋といや九太夫くだゆうをはじめ、桝田屋ますだやの儀助、蓬莱屋ほうらいやの新七、梅屋の与次衛門よじえもん、いずれもかみしも着用に雨傘あまがさをさしかけて松雲の一行を迎えた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「いや、てめえの方が、詳しい話を知っているはずだ。去年の十月頃に、問屋といやのお役人から、宿触しゅくぶれの出ているお尋ね者を知っているか」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ゆうべ小主水花魁から届いた文のように旨くゆけばよいが、そうは問屋といやでおろしそうもないて、ひょっと仕損じて花里さんえ何処どこくんです
或は「困難の問屋といやである」といいて冷笑する者もあり、或は「国人にすてられし時」などと唱えて自分を国家的人物に擬するは片腹痛かたはらいたしと嘲ける者もあった。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
波止場に入りし時、翁は夢みるごときまなざしして問屋といや燈火ともしび、影長く水にゆらぐを見たり。舟つなぎおわれば臥席ござきてわきに抱き櫓を肩にして岸にのぼりぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お昼頃町へ着いて、材木を問屋といやの庭に下し、弁当を食べ馬にもかいばをやり、それから家へ帰りかけました。
天下一の馬 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それらには我の顔も貸そうし手も貸そう、丸丁まるちょう山六やまろく遠州屋えんしゅうや、いい問屋といやは皆馴染なじみでのうては先方さきがこっちを呑んでならねば、万事歯痒はがゆいことのないよう我を自由に出しに使え
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
日本橋で大きな食料品の問屋といやをやっている益雄の家では、父親の代理であっちこっちの問屋や銀行などに往かなくてはならない用事がたまっていたので、益雄は二三日それに費したが
草藪の中 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その頃自分は商人になろうと思って、主人の取引をしている、日本橋の問屋といやへ奉公に出た。小僧の時から奉公したのではなくては使わないというのを、主人の保証で番頭の見習をさせて貰った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
こうなると役目の表、問屋といやの者も一応は詮議をしなければならないことになりました。今宮さんの顔の色が変ってしまいました。こゝで鎧櫃の蓋をあけて、醤油樽を見つけ出されたら大変です。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
問屋といやへ頼んで安くおろして貰い、彼はそれを肩に担ぎ
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
幸いに彼の家や隣家の伏見屋は類焼をまぬかれたが、町の向こう側はすっかり焼けて、まっ先に普請ふしんのできた問屋といや九太夫くだゆうの家も目に新しい。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
無益とは知りつつも、車を駆りて品川にゆき二郎が船をもとめたれど見当たらぬもことわりなり、問屋といやの者に聞けば第二号南洋丸は今朝四時に出帆せりとの事なれば。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
コールタで塗った門の扉がたしかにあるので、そっと手をかけてみると扉のくるまはすぐ落ちた。そこはその傍の問屋といや荷揚場にあげばらしい処で、左側に山口家の船板塀ふないたべいがあり、右側に隣の家の煉瓦塀れんがべいがあった。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
埃及エジプト印度いんど支那しな阿剌比亜アラビア波斯ペルシャ、皆魔法の問屋といやたる国〻だ。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何うも左様そう問屋といやで卸してはくれず致し方がございません。
問屋といやの九郎兵衛をはじめ、町内の重立った旦那衆にも集まってもらって、広い囲炉裏ばたに続いたくつろぎのではまたまた一同の評定があった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
遺失おとした人は四谷区何町何番地日向某ひなたなにがしとて穀物の問屋といやを業としている者ということが解った。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
○「へえー山ん中に……問屋といやでしょう」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
篤胤の学説に心を傾けたものは武士階級に少なく、その多くは庄屋しょうや、本陣、問屋といや、医者、もしくは百姓、町人であった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
たれの舟ぞ」問屋といや主人あるじらしき男問う。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
香蔵は美濃みの中津川の問屋といやに、半蔵は木曾きそ馬籠まごめの本陣に、二人ふたりは同じ木曾街道筋にいて、京都の様子を案じ暮らした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
申すにも及ばざる儀ながら木曾谷庄屋しょうや問屋といや年寄としよりなどは多く旧家筋の者にこれあり候につき、万一の節はひとかどの御奉公相勤め候心得にこれあるべく候。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そういう吉左衛門も、代を跡目あとめ相続の半蔵に譲り、庄屋しょうや本陣問屋といやの三役を退いてから、半年の余になる。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大は将軍家、諸侯から、小は本陣、問屋といや、庄屋、組頭くみがしらの末に至るまでことごとく廃された中で、僧侶そうりょのみ従前どおりであるのは、むしろ不思議なくらいの時である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
藩というものをそれぞれ背負しょって立ってる人たちは、思うことがやれる。ところが、われわれ平田門人はいずれも医者か、庄屋しょうやか、本陣問屋といやか、でなければ百姓町人でしょう。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もっとも、京都にいて早くそのことを知った中津川の浅見景蔵が帰国を急いだころは、同じ東山道方面の庄屋しょうや本陣問屋といや仲間で徳川慶喜よしのぶ征討令が下るまでの事情に通じたものもまだ少なかった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これまで彼がき父を夢に見た覚えは、ただの一度しかない。青山の家に伝わる馬籠まごめ本陣、問屋といや庄屋しょうやの三役がしきりに廃止になった後、父吉左衛門の百か日を迎えたころに見たのがその夢の記憶だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)