そなえ)” の例文
そこで、私は机の上のかごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸の景色を描いた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「(前略)雪中御大儀たるべしと雖も、夜を以って日に継ぎ、御着陣待入まちいり候。信州味方中滅亡の上は、当国のそなえ安からず候条」
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
酷いんですとも! でもまあ、氷嚢を七ツと聞いて、やまいに対してほとんど八陣のそなえだ。いかに何でも、と思ったが不可いけない。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
物の弊あるは物のせいなり。聖人といえどもあらかじめこれがそなえをなすあたわざるなり。羅瑪ローマくにを復するや教門の力により、その敗るるやまた教門によれり。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
他日この絶大実力を貯うべきそなえありやを顧み、上に聖天子おわしましながら有君而無臣をなげき、政治に外交に教育に、それぞれ得意の辛辣な皮肉を飛ばして
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
変化に先立ちてこれがそなえをなさざれば遣繰身上やりくりしんしょういかでか質の流を止めんや。夜ごと枕並ぶるおのれが女の心に気もつかで、飽かれて後にうらみ、怨みて後に怒るは愚にあらずや。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
燕王、真定の攻め難きを以て、燕軍は回出してかてを取り、営中そなえ無しと言わしめ、傑等をいざなう。傑等之を信じて、遂に滹沱河こだかに出づ。王かわを渡りながれに沿いて行くこと二十里、傑の軍と藁城ごうじょうに遇う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
幕府は五月九日を以て、万石以下の士に甲冑かっちゅうの準備を令した。動員のそなえのない軍隊の腑甲斐ふがいなさがうかがわれる。新将軍家定いえさだもとにあって、この難局に当ったのは、柏軒、枳園らの主侯阿部正弘である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
雪をまとうた群嶺は、そなえをなして天の一方を限っている。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
鳴子なるこ引板ひたも、半ば——これがためのそなえだと思う。むかしのものがたりにも、年月としつきる間には、おなじ背戸せどに、孫もひこむらがるはずだし、第一椋鳥むくどりねぐらを賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
けだし二人皆実務の才にあらず、兵を得る無し。子澄は海に航して兵を外洋にさんとしてはたさず。燕将劉保りゅうほ華聚かしゅうつい朝陽門ちょうようもんに至り、そなえ無きをうかがいて還りて報ず。燕王おおいに喜び、兵を整えて進む。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)