修験者しゅげんじゃ)” の例文
ことごとあばれ出して、雲を呼び雨を降らす——さればこそ竜神の社は、竜神村八所のしずめの神で、そこにこも修験者しゅげんじゃに人間以上の力があり
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
えん優婆塞うばそくの流れを汲む豊前ぶぜん僧都そうずと自分から名乗って、あの辺では、信者も多く、えろう権式ぶっている修験者しゅげんじゃだそうでござります
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さては寒行の行者ぎょうじゃ修験者しゅげんじゃが、霧の中を通って行くと見える。天の与えじゃ、がしてはならぬ。声を揃えて呼んで見ようぞ」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
マタ・アリという名は、彼女の美貌を礼讃らいさんして、修験者しゅげんじゃたちがつけたもので、Mata Hari というのは、「朝の眼」という意味である。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
あの、小さい時、鞍馬くらま修験者しゅげんじゃが参りまして、わたくしの人相をつくづく眺めながら、このように申したのでござります。
浪人とも修験者しゅげんじゃとも得体の知れない総髪そうはつの男が、山野風雨の旅に汚れきった長半纒ながはんてんのまま、徳利を枕に地に寝そべって、生酔いの本性たがわず
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私の知る限りでは、壱岐島の続方言集に祈り呪うことをオコナイ、信州の南端遠山地方では、修験者しゅげんじゃなどの手で印を結ぶことがオコナイだという。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三晩の修法も何んのしるしもなく、隆順は少し照れ臭く引き下ってしまいました。それに代って呼び込まれたのは、俗に祈りの道六と言う、その頃高名な修験者しゅげんじゃ
数年の間修験者しゅげんじゃとなり金華きんか葛城かつらぎの諸山を巡歴し、江戸に帰って長野豊山ながのほうざんの門に入り経義を学ぶこと一両年。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうするとその修験者しゅげんじゃは一番そのチベットでの高い山の上に建ててある防霰堂ぼうさんどうへ出掛けて行くです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
もしその上に少しばかり潤色じゅんしょくほどこし、適当に口碑や伝説を取りぜ、あの地方に特有な点景、鬼の子孫、大峰おおみね修験者しゅげんじゃ、熊野参りの巡礼じゅんれいなどを使い、王に配するに美しい女主人公
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「発見したって、どんな人かね。えらい修験者しゅげんじゃなどと懇意になってつれて来たのか」
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
牛馬売買渡世のものには無鑑札を許さず、下々しもじもが難渋する押込みと盗賊の横行をいましめ、復飾もしない怪しげな修験者しゅげんじゃには帰農を申し付けるなど、これらのことはあげて数えがたい。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東寺とうじ卿公きょうのきみと云う修験者しゅげんじゃにおふだをもらって来てると、怪しい物も来ないようになったので、五十日ばかりして東寺に往って卿公に礼を云って酒を飲み、その帰りに女のことを思いだして
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「論より証拠——証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者しゅげんじゃに限ったものだ」
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
入峰にゅうぶ三度の大峰の修験者しゅげんじゃにござりまするが、月のうち十日は、当麻寺たいまでら行院ぎょういんへ参ッて、役僧座に勤めておりまする」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのころどこからともなく江戸に現われた修験者しゅげんじゃで、四十五六の魁偉かいいな男でしたが、不思議な法力を持つとうわさされて、わずかの間に江戸中の人気をさらい、谷中に建てた堂宇は
その他吉備津の塵輪じんりん三穂さんぼ太郎も、鬼とはいいながらじつは人間の最も獰猛どうもうなるものに近く、護符や修験者しゅげんじゃ呪文じゅもんだけでは、煙のごとく消えてしまいそうにもない鬼でありました。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それは大抵古派の修験者しゅげんじゃです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
その晩、お豊のほかに「清姫の帯」を見たものというのは、ほかではない、この竜神の社に籠る修験者しゅげんじゃでありました。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし、どこの家にも、近ごろは、念仏の唱えが洩れていて、修験者しゅげんじゃきょうに耳をかす者がなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第六十一回 修験者しゅげんじゃの罰法
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
その頃、遠州えんしゅう秋葉あきばの一修験者しゅげんじゃが、越後に逗留していて、上杉家の家中の者からこのはなしを聞き
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岡山の東方一里ばかり乙多見村おつたみむら附近で、一修験者しゅげんじゃが、検察隊に誰何すいかされた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えん小角おづのが、嵯峨さが山の奥に住みたもうとあるは、この御山なりと、申す説などもございまして、修験者しゅげんじゃたちにいわせると、いまでもなお当山には天狗が棲んでおると、まことしやかに奇蹟をいて
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
修験者しゅげんじゃと僧侶とは、同じ仏法というものの上に立ちながら、その姿がひどく相違しているように、気風もちがうし、礼儀もちがうし、経典の解釈も、修行の法も、まるで別ものになっているので
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)