一日ついたち)” の例文
一休いっきゅうさんは、応永元年おうえいがんねんがつ一日ついたち将軍義満しょうぐんよしみつが、その義持よしもちしょくをゆずったとし南朝なんちょう後小松天皇ごこまつてんのうちちとし、伊予局いよのつぼねははとしてうまれました。
先生と父兄の皆さまへ (新字新仮名) / 五十公野清一(著)
眼が覺めると十月一日ついたち、秋雨が降つてゐる。生れたのは廿八日だとか廿九日だとかの晩だといふが、ともかくわたしの出生は十月一日になつてゐる。
煎薬 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
がつ一日ついたち大地震おおじしんのために、東京とうきょう横浜よこはま、この二つのおおきな都市としをはじめ、関東かんとうたい建物たてものは、あるいはこわれたり、あるいはけたりしてしまいました。
子供と馬の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
かたわらよりくだん屑買くずや、「わしゃまた一日ついたちと十五日が巡回日まわりびで今日もって来たのじゃが、この様子では入ってからあきないは出来ぬらしい、やれさても。」と大きに愚痴こぼす。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一日ついたちとか十五日とかの祝日に彼等一同が隊伍を組んで、村里を目がけておし寄せる光景は、恰も永い航海の後に港に着いた海賊船の隊員を目のあたりに見るが如く
「宮本さんがさ。——だから、来年一月の一日ついたちから七日ななくさまでの間、毎朝、五条大橋の上で待っているから、その七日なのかのうちに、一朝ひとあさそこへ来てもらいたいというのさ」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一日ついたちから二十日間の休暇を一週間許り仙台に遊んで、しかとした前知らせもなく帰つて来たのだ。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そのうちにはあけて、一がつ一日ついたち年始ねんしのあいさつにきた人々ひとびとに、諭吉ゆきちはいいました。
二十九日爆弾の影におびえ、三十日爆弾を噂し、三十一日爆弾の有無うむを論じ、一日ついたち爆弾に賭けるというわけで、ついに金博士の時限爆弾は、住民たちの生活の中に溶けこんでしまった
一日ついたちと十五日には職工の休み日なのでいつも満員であつたがその三階まで充満した見物の喝采かつさいが、背景の後ろにゐる彼の耳まで達する時、彼は思はず微笑ほゝゑんで四囲あたりを見廻すのが常であつた。
手品師 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
彼は、一日ついたちの朝オフィスへ着て出た服のまま、昼夜ネクタイも取らずに吉報きっぽうを待って電話のかたわらに立ちつくした。しかしそれでもロス氏の頭の隅には、まだまだ一の望みが宿っていた。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
毎月、一日ついたちだけ休みなんだ。わかるかね。
令嬢アユ (新字新仮名) / 太宰治(著)
製糸工場は、確か一日ついたちと十五日。
とむらい機関車 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
三七 一日ついたち正月
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
職工が一日ついたちになつても給料を拂はれぬので、活字函ケース轉覆ひつくりかへして家へ歸つたさうだとか云ふ噂が、一度や二度でなく私等の耳に入るけれど、それでも一日として新聞を休んだ事がない。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「あれはまた、泣虫でな、泣虫のお通さんというくらいなんだよ。……だが、この正月の一日ついたちから側に引き寄せられていたといえば、だいぶチクチクいじめられたろうな。かあいそうに」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きたらんとする夏を逃げて、早くも田舎の別荘へ避暑に行っていたが、この問題の一日ついたちの夕方、ロス氏が、市の中心にある自分の会社から帰って来ると、二人の愛息に付けてある若い保母が
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
がつ一日ついたち
ある少年の正月の日記 (新字新仮名) / 小川未明(著)
相模の大庭景親から出した注進の早馬が、京都に着いたのは、九月一日ついたちだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「毎日」が先月紙店かみやの払ひが出来なかつたので、今日から其日々々に一聯宛買ふさうだとか、職工が一日ついたちになつても給料を払はれぬので、活字函ケース転覆ひつくらかへして家へ帰つたさうだとか云ふ噂が
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「その本位田又八におまえが会って、わしがこういったと伝えてくれ。来年一月の一日ついたちから七日まで、毎朝五条の大橋へ行って拙者が待っているから、その間に、五条まで一朝ひとあさ出向いてくれいと」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)