一七日いちしちにち)” の例文
かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日いちしちにちのあいだ日参にっさんしろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
禅家などでは一七日いちしちにちを限って大悟して見せるなどとすさまじいいきおい結跏けっかする連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お沢 はい、()はい、あの、一七日いちしちにちの満願まで……このねがいを掛けますものは、唯一目ひとめ、……一度でも、人の目にかかりますと、もうそれぎりに、ねがいかなわぬと申します。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
先ごろから親鸞調伏ちょうぶく護摩ごまいて、一七日いちしちにちのあいだ、必死の行をしていた那珂なか優婆塞院うばそくいん総司そうつかさ——播磨公弁円はりまのきみべんえんは、銀づくりの戒刀かいとうを横たえて、そこのむしろに坐っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで再び一七日いちしちにち入定して祈った。今度は、巧匠をやって彼女の形像を模写させて拝むがいいとあった。王は歓喜して、工巧師を派遣した。それが天竺国毗首羯磨びしゅかつま二十五世末孫文答師もんどうしであった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
貞応じょうおう二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、日吉ひえ参籠さんろうして一七日いちしちにちの間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
自分はその一刹那から再び怪異あやかしに憑かれたのであった。彼はこれから一七日いちしちにちの間、斎戒さいかいして妖邪の気を払わなければならないと思った。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かれは良人の容体の危篤に陥りしより、ほとんど一月ばかりの間帯を解きて寝しことあらず、分けてこのごろに到りては、一七日いちしちにちいまだかつてまぶたを合さず、渠は茶を断ちて神に祈れり。
化銀杏 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その一七日いちしちにちの勤めが終ったので惣持院そうじいんの学寮に、若い学僧たちが寄り集まって
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし一七日いちしちにちの後には、藻に頼もしい道連れができた。それはかの千枝松で、彼は烏帽子りの子であった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
あの……それでお医者様が手放したもんですから、照吉さんが一七日いちしちにち塩断しおだちして……最初はじめッからですもの、断つものも外に無いの。そして願掛けをしたんですって。どこかねえ、谷中やなかの方です。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一七日いちしちにちのあいだに、一万度の護摩ごまいて、祈りに祈り、のろいに呪ったしるしもなく、なおこの上柿岡へ立ち越えて、愚婦愚男をたぶらかそうとする親鸞も、この板敷山の嶮路けんろへかかるが最期」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、一七日いちしちにちのあいだ身を浄めまして、加茂の河原に壇を築かせ、雨乞いの祈祷を試みまする」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
くてあしたくれをさむ。すべ一七日いちしちにちじゆつるとしようし、でて昌黎しやうれいたいして、はじめてぢたるいろあり。いはく、うらむらくはせつおそきこと一月ひとつきなり、ときすでふゆにしておもふがまゝならずと。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
あの、そのね、谷中へ願掛けをした、満願、七日なぬか目よ、……一七日いちしちにちなんですもの。いつもお参りをして帰りがけに、しらしらと夜の明ける時間なのが、その朝は、まだ真暗まっくらだったんですとさ。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)