“こかん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
股間47.4%
沍寒10.5%
瞽官10.5%
古閑5.3%
壺関5.3%
刳貫5.3%
故館5.3%
胡翰5.3%
賈綰5.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
一つの面白い、しかも極めて簡単な実験は、頭をさかさにして股間こかんから見馴れた平凡な景色をのぞいて見る事である。
此処深山幽谷しんさんいうこくにして沍寒こかんの地なり。
而も三成の命をふくんで細作さいさくとなるべく志した行者順慶、当時の下妻左衛門尉は、此の圓一と入魂じっこんであったのを幸いに、彼の盡力に依って短時日の間に当道の瞽官こかんを得たと云う。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
もつとふるつてたのは三十六ねんぐわつ元旦ぐわんたんで、此日このひ年始ねんし幻花子げんくわしは、掘初ほりぞめをするとつてたゞ一人ひとり出掛でかけたのを、あとから、靜灣せいわん佳水かすゐ天仙てんせん望蜀ぼうしよく古閑こかん狹衣さごろも活東くわつとうの七にん評議ひやうぎうへ
其時そのときの八にんうちで、活東くわつとう天仙てんせん古閑こかんの三は、いま現世このよひとであらぬ。
堅城壺関こかんも、その夜ついに陥落し、高幹は命からがら北狄ほくてきの境をこえて、えびす左賢王さけんおうを頼って行ったが、途中家来の者に刺し殺されてしまった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
袁紹のおい高幹は、并州の壺関こかん(河北省境)を死守して、なお陥ちずにあった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
起したそうじゃが、今いうた樋田の刳貫こかんは、この御出家一人の力でできたものじゃ
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ついきのうは初七日しょなのかで、宮中をはじめ二条の故館こかんでは法要が行われ、各寺院でも終日の勤行ごんぎょうがあり、町の声にしても、もうい人となると、いまは何か、巨大に感じられる人間像とあとの空虚うつろ
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孝孺は其翌年丁巳ていしけいを執って浦陽ほように潜渓にきぬ。従学四年、業おおいに進んで、潜渓門下の知名の英俊、皆其のしもに出で、先輩胡翰こかん蘇伯衡そはくこうまたみずかかずとうに至れり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
陳弼教ちんひつきょうは幼な名を明允めいいんといっていた。えんの人であった。家が貧乏であったから、副将軍賈綰こかんの秘書になっていた。
西湖主 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)