ゆう)” の例文
たちまち附近の山から銅鑼どらが鳴りひびき、梁山泊のゆう、宋万、杜選とせん、また白面郎の鄭天寿ていてんじゅなどが襲って来て、難なく二人を林のおくへ引きずりこんでしまったのである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸王の為にひそかに謀る者を誰となす。曰く、諸王のゆうを燕王となす。燕王のに、僧道衍どうえんあり。道衍は僧たりといえども、灰心滅智かいしんめっち羅漢らかんにあらずして、かえってれ好謀善算の人なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かりに其の詞をれて、つらつら経久がなす所を見るに、九六万夫ばんぷゆう人にすぐれ、よく士卒いくさ習練たならすといへども、九七智を用ふるに狐疑こぎの心おほくして、九八腹心ふくしん爪牙さうがの家の子なし。
根岸あけぼのの里の道場にゆうを唱えた弱冠の剣剛諏訪栄三郎であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
なれどその楠木も、土豪のゆうでこそあれ、中央のけんではありませぬ。廟堂びょうどうのご政治むきなどには、とんと役にもたたぬ者と、記録所や決断所でもはや定評となっております
何にせよかれあしかれ将門は経基の訴の後、おほいなる問題、注意人物のゆうとして京師の人〻に認められたに疑無いから、経基の言は将門の運命に取つては一転換の機を為してゐるのである。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
が、禁門軍のゆうこう大将ほどな男も、そこから奥の山ではまったくへばッた。第一夜は、樹海じゅかいの底の谷川を枕としてね、第二夜は、おののような天空の峰で身を横たえた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
我が小説家のゆう曲亭主人馬琴きょくていしゅじんばきんす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
北国ほっこく一のゆう柴田権六勝家しばたごんろくかついえが間者、本名上部八風斎かんべはっぷうさいという者、人穴ひとあな築城ちくじょうをさぐろうがため、ここに鏃師やじりしとなって、家の床下ゆかしたから八ぽうへかくし道をつくり、ここ二星霜せいそうのあいだ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「西涼の大将たるものは、いえば必ず行い、行えば必ず徹底して実を示す。聞き及ぶ、曹操は、口頭こうとうゆうで、逃げ上手だというが、汝そこを動かず、必ず馬超と一戦するの勇気があるか」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東海のゆうたる位置になるにつれて、かれの前かがみの姿が、何となく、大きく、偉なるものを抱擁しているように見え、この姿のあるところ、百難の城中でも、苦戦の戦場でも、つねに
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ときしも、羽柴筑前守秀吉はしばちくぜんのかみひでよしは、北国ほっこく柴田権六しばたごんろくをうつ小手しらべに、南海なんかいゆう滝川一益たきがわかずます桑名くわなしろを、エイヤ、エイヤ、血けむり石火矢いしびやで、めぬいているまッさいちゅうなのである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
覇業はぎょうを成した人物だけあって、筒井順昭は、やはり一世のゆうであった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また燕順、劉唐りゅうとう杜選とせん、宋万のゆう
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)