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襄陽
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じょうよう
ふりがな文庫
“
襄陽
(
じょうよう
)” の例文
「
襄陽
(
じょうよう
)
の名士はみな往来しております。
就中
(
なかんずく
)
、襄陽の
龐徳公
(
ほうとくこう
)
、
龐統子
(
ほうとうし
)
などは特別親しくして、よくあれなる林の中に訪うて参ります」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
永楽
(
えいらく
)
元年、帝
雲南
(
うんなん
)
の
永嘉寺
(
えいかじ
)
に
留
(
とど
)
まりたもう。二年、雲南を
出
(
い
)
で、
重慶
(
じゅうけい
)
より
襄陽
(
じょうよう
)
に
抵
(
いた
)
り、また東して、
史彬
(
しひん
)
の家に至りたもう。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
隴西
(
ろうせい
)
の
李白
(
りはく
)
、
襄陽
(
じょうよう
)
の
杜甫
(
とほ
)
が出て、天下の能事を尽した後に
太原
(
たいげん
)
の
白居易
(
はくきょい
)
が
踵
(
つ
)
いで起って、古今の人情を
曲尽
(
きょくじん
)
し、
長恨歌
(
ちょうこんか
)
や
琵琶行
(
びわこう
)
は戸ごとに
誦
(
そら
)
んぜられた。
魚玄機
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
荊州
(
けいしゅう
)
、
襄陽
(
じょうよう
)
、南郡三ヵ所の城を一挙に収めて、一躍、持たぬ国から持てる国へと、その面目を一新しかけてきた機運を迎えて、玄徳は
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
咸通
(
かんつう
)
元年の春であった。久しく
襄陽
(
じょうよう
)
に往っていた温が長安に
還
(
かえ
)
ったので、李がその
寓居
(
ぐうきょ
)
を訪ねた。
魚玄機
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
タメルランの
後
(
のち
)
の
哈里
(
ハリ
)
(Hali)
雄志
(
ゆうし
)
無し、
使
(
つかい
)
を
安
(
あん
)
に伴わしめ
方物
(
ほうぶつ
)
を
貢
(
こう
)
す。六年、白龍庵
災
(
さい
)
あり、
程済
(
ていせい
)
募
(
つの
)
り
葺
(
ふ
)
く。七年、建文帝、
善慶里
(
ぜんけいり
)
に至り、
襄陽
(
じょうよう
)
に至り、
滇
(
てん
)
に
還
(
かえ
)
る。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
かの水鏡先生が、孔明と並び称して——
伏龍
(
ふくりゅう
)
、
鳳雛
(
ほうすう
)
といった——その鳳雛とは、
襄陽
(
じょうよう
)
の
龐統
(
ほうとう
)
のことだが、その龐統も見えている。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
次の日、帝、楊、葉、程の三人と共に、呉江を
出
(
い
)
で、舟に
上
(
のぼ
)
りて
京口
(
けいこう
)
に至り、
六合
(
ろくごう
)
を過ぎ、陸路
襄陽
(
じょうよう
)
に至り、廖平が家に至りたもうに、
其
(
その
)
後
(
あと
)
を
訊
(
と
)
う者ありければ、
遂
(
つい
)
に意を決して
雲南
(
うんなん
)
に入りたもう。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
「それがしはもと
襄陽
(
じょうよう
)
の生れ、
廖化
(
りょうか
)
と称し、
字
(
あざな
)
は
元倹
(
げんけん
)
という者です。決して将軍に害意をふくむ者ではありませんから、ご安心ください」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
むかし、
襄陽
(
じょうよう
)
の名士、みなご辺の名を口にいう。ご辺はもとより道を知る人、また天命の何たるかも知り、時の人の
務
(
つと
)
めも所存あるはずだ。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは「
柳氏叙訓
(
りゅうしじょくん
)
」という書に見たことであった。著者の
柳公綽
(
りゅうこうしゃく
)
が、
襄陽
(
じょうよう
)
の民政監察官として、その地にあった時の見聞を自記したものである。
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
故
(
こ
)
劉表
(
りゅうひょう
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
として、玄徳はあくまで琦君を立ててきたが、生来多病の劉琦は、ついに
襄陽
(
じょうよう
)
城中でまだ若いのに長逝した。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それとなく、
襄陽
(
じょうよう
)
の会や、
檀渓
(
だんけい
)
の難のことをお話しあって、もし劉表が、呉の討手を君へお頼みあっても、かならずお引受けにならないことです」
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「これか。……これは
犁牛
(
りぎゅう
)
の尾だよ。たいへん珍しい物だそうだ。
襄陽
(
じょうよう
)
のさる富豪から贈ってよこしたので、帽にして結わせてみた。おかしいかな」
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この荊州の南郡から
襄陽
(
じょうよう
)
、
合淝
(
がっぴ
)
の二城をつらねた地方は、曹操にとって、今は、重要なる国防の外郭線とはなった。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なにも驚き騒ぐほどな敵ではありません。よろしく
江夏城
(
こうかじょう
)
の
黄祖
(
こうそ
)
をもって、要害をふせがせ、荊州
襄陽
(
じょうよう
)
の大軍をこぞって、後軍に固く備えおかれれば、大江を
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この許都を中心として西は
荊州
(
けいしゅう
)
、
襄陽
(
じょうよう
)
の
劉表
(
りゅうひょう
)
、
張繍
(
ちょうしゅう
)
を見ても、東の袁術、北の袁紹の力をながめても、ほとんど四方
連環
(
れんかん
)
の敵であって、安心のできる一方すら見出せない。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
滔々
(
とうとう
)
、
濁世
(
だくせ
)
のとき、予は若き傷心を抱き、
襄陽
(
じょうよう
)
の郊外に屈居して、時あらん日を天に信じ、黙々、書を読み、田を耕しつつあったことは、さきに汝がいった通りにちがいない。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
由来、
荊州
(
けいしゅう
)
襄陽
(
じょうよう
)
の地には、好学の風が高く、古い儒学に対して、新しい解義が追求され、現下の軍事、法律、文化などの政治上に学説の実現を計ろうとする意図が
旺
(
さかん
)
であった。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まず、総勢三十万を発し、
居巣門
(
きょそうもん
)
から魏の
合淝
(
がっぴ
)
、
彩城
(
さいじょう
)
を取る。また
陸遜
(
りくそん
)
、
諸葛瑾
(
しょかつきん
)
らに
江夏
(
こうか
)
、
沔口
(
べんこう
)
を撃たせて
襄陽
(
じょうよう
)
へ突入させ、
孫韶
(
そんしょう
)
、張承などを広陵地方から
淮陽
(
わいよう
)
へ進ませるであろう
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ふいに
襄陽
(
じょうよう
)
郊外から出て来たこの
布衣
(
ほい
)
の一青年に譲らざるを得なくなっている。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ちょうど
襄陽
(
じょうよう
)
方面から急報が入った。劉封が五万余の兵を擁して、国境を
侵
(
おか
)
し、諸所焼き払いながら進攻してくるという注進であった。曹丕は、孟達を試すには適当な一戦と思ったので
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いま曹操の弟曹仁は、
襄陽
(
じょうよう
)
から
樊川
(
はんせん
)
地方に陣取っている。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹仁の大兵は、怒濤となって、すでに
襄陽
(
じょうよう
)
へ突入したが
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
襄
漢検1級
部首:⾐
17画
陽
常用漢字
小3
部首:⾩
12画
“襄陽”で始まる語句
襄陽城
襄陽記