菊塢きくう)” の例文
朝帰りの威勢のいい一九いっくにはいり込まれたのを口開くちあけ京伝きょうでん菊塢きくう、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
自分ばかりが博識ものしりがるものなり、菊塢きくう奥州おうしうよりボツト出て、堺町さかひてう芝居茶屋しばゐぢやや和泉屋いづみやかんらうかた飯焚めしたきとなり、気転きてんくより店の若衆わかいしゆとなり、客先きやくさき番附ばんづけくばりにも
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
「久無病脚訪江干。勝事索然奈老残。何料花園四時富。佳詩写得与余看。」当時百花園は尚開発者菊塢きくうの時代であつた。菊塢は北平きたへいと呼ばれて陸奥国のうまれであつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
無邪氣むじやき笑顏ゑがほいつもあいらしく、雪三せつざう菊塢きくう秋草あきくささかりなりとかきくを、此程このほどすぐさずともなひてはたまはらずやと掻口説かきくどきしに、なん違背ゐはいのあるはずなく、おまへさま御都合ごつがふにて何時いつにてもおともすべしと
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
梅屋敷うめやしきは文化九年の春より菊塢きくうが開きしなり、百花園くわゑん菊塢のでん清風廬主人せいふうろしゆじん、さきに国民之友こくみんのともくはしくいだされたれば、誰人たれびとも知りたらんが、近頃ちかごろ一新聞あるしんぶん菊塢きくう無学むがくなりしゆゑ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
しか諸名家しよめいか菊塢きくう無祝儀むしゆうぎ取巻とりまき同様どうやうにするあひだに、菊塢きくうはまた諸名家しよめいか無謝儀むしやぎにて使役しえきせしなり、聞人もんじんといふものはいつの世にても我儘わがまゝ高慢かうまんぜにつかはぬくせに、大面おほづらで悪く依怙地えこぢ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)