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病死
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びやうし
糺けるに
親三藏は近年
病死致し私しは當年廿五歳なれば廿二三年
跡の事は一向覺えなしと云にぞ然らば廿二三年
前の奉公人の
宿帳を
此石
出ればその
翌年には
必ず
住職病死する事むかしより今にいたりて一度も
違ひたる事なし。
宅の
物置に
曾て
自分が
持あるいた
畫板が
有つたの
見つけ、
同時に
志村のことを
思ひだしたので、
早速人に
聞いて
見ると、
驚くまいことか、
彼は十七の
歳病死したとのことである。
此邸の
奧樣に
何うも
能く
似て
居た
人で
有つた、
繼母で
有つたので
平常の
我慢が
大底ではなく、
積つて
病死した
可憐な
子と
何れ
彼の
男の
事で
御座りますから、
眞面目な
顏であり/\を
言ひましたを
預け置て
立出しが其後一向に歸り來らず然に昨年
祖母も
病死し殘るは私し一人と成り
切ては今一度
對面し度と存ず夫故に伊勢參宮より
故郷を
此石
出ればその
翌年には
必ず
住職病死する事むかしより今にいたりて一度も
違ひたる事なし。
致し候が十年程以前
病死致し候由に御座候
是にて澤の井の一
條は
御得心に相成候やと云に次右衞門三五郎は是を
聞何にも
概略は
相分りたり其若君と澤の井を