田地でんじ)” の例文
それにゃ国の田地でんじや何かも整理しなけりゃならないから、今度はまあ親父おやじ年忌ねんきを兼ねて、その面倒も見に行く心算つもりなんだ。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
別に便たよる所もないから、此の村に元家来の惣助そうすけという者がいるから、それを便って来て、少しは山も田地でんじも持っていたが、四ヶ年あとの出水でみずで押流されて
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地でんじをたくさん持っている大百姓で、店の右の方には大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
だんだん気があらくなって、ねえさんのたぶさをつかんで打った、とかで、田地でんじは取上げ、という評判ひょうばんでね、風の便りに聞くと、その養子は気が違ってしまったそうだよ。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地でんじっていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地でんじも多く持って居りますから活計くらしに困りませんで、人を助けるのが極く好きです。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵ももとのようではなくなりました。一時は買込んだ田地でんじなども売物に出たとかいう評判でございました。
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
おれが五十石の田地でんじをぶち放っても此の話を着けねばなんねえ訳に成ったが其の男の事に付いてめえっただ
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
さむれえでも仮令たとえ百姓でも理合りええおいて二つはねえ、おらッちが商売しょうべえをするッて、えらア田地でんじイ持ってるものはねえから、世間並に売ればいに、法外ほうげいに廉く売るもんだから
これから追々おい/\田地でんじでも買おうと云うのだが、一人の身上みのうえでは不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘ではいやだが、聞けば何か此方こちらねえさんは元武士さむれえのお嬢さんで
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
田地でんじの七八十石も持って居りますなりの暮しで、斯様かように良い暮しを致しますのは、三右衞門と云う親父おやじが屋敷奉公致して居るうち、深見新左衞門に二拾両の金を貰って
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ふくろさえ得心なら、母諸共此方こっちへ引取って宜しい、もし窮屈でいやならば、いさゝ田地でんじでも買い、新家しんやを建って、お母に下婢おんなの一人も附けるくらいの手当をして遣ろうじゃアないか。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
角「そうけえ、おらア今金はあるが、千鳥村へ田地でんじ掛合かけあいに来たんだから、田地が売買うりけえにならなければけえりに直ぐ買ってくから、何しろ手附を置いて往くから、馬を置いて下せえ」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
なアに葬式とむらいがありましてねえ、何う云う訳か此の山へ立派なうちが建ちましたが、何だか元お大名の御家老様でえらい高をとった人だそうで、それが田地でんじ山林やまを買って何不足はねえが
田地でんじいえも蔵も抵当とやらにして三千円の金を借り、其の金を持って唐物屋とうぶつやとか洋物屋ようぶつやとかを始めると云って横浜から東京へえ出しに出たんだよ、ところが他に馴染なじみの宿屋がねえと云って
おらア死ぬと汝エ困るべえと思って金エ二十両貯えて置いたから、此れでちッとベエ、田地でんじイ買っておれ死んでも葬式とむれえなどを立派にしねえでもいから、汝エ食い方に困らねえようにするがエと
此の人は以前下谷したや御成街道おなりかいどう堀丹波守ほりたんばのかみ様の御家来で、三百八十石頂戴した浪島文吾なみしまぶんごと云う人の子で、仔細あって親諸共もろともに浪人して本所業平村に田地でんじを買い、何不足なく有福に暮してりましたが
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
其のいまだに帰りませんし便たよりもありませんで、死んだか生きて居るか分りません、御存じの通り三千円の金を持って出て、それも田地でんじや土蔵を抵当に入れて才覚したものでござりやんすから
それ程貧乏だと思う人はねえ何処どっから嫁を貰っても箪笥たんす一個ひとつや長持の一棹ひとさおぐらい附属くッついて来る、器量の悪いのを貰えば田地でんじぐらい持って来るのは当然あたりまえだ、つらがのっぺりくっぺりして居るったって
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
前には唐物屋とうぶつやと云ったが今では洋物屋と申しますそうでござりやすが、屹度きっと当るという人が有りますから、此処こゝ一息ひといき吹返ふきかえさなければなんねいと思って、田地でんじからそれにまア御案内の古くはなったが