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ふりがな文庫
“
清洲
(
きよす
)” の例文
当時の欧化は木下藤吉郎が
清洲
(
きよす
)
の城を三日に築いたと同様、外見だけは如何にも文物燦然と輝いていたが、内容は破綻だらけだった。
四十年前:――新文学の曙光――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
清洲
(
きよす
)
の城は、川向うの彼方に小さく見えていた。隊の中には、この尾張四郡の領主、
織田備後守信秀
(
おだびんごのかみのぶひで
)
の弟にあたる織田
与三郎
(
よさぶろう
)
がいた。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いいえ……
清洲
(
きよす
)
のお屋敷へお
引籠
(
ひきこも
)
りになってから、もう二年越し、どちらへも、ちょっとも外出はなさらないそうでございます」
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
天正十年六月十八日、尾州
清洲
(
きよす
)
の植原次郎右衛門が大広間に於て、織田家の宿将相集り、主家の跡目に就いて、大評定を開いた。これが有名な清洲会議である。
賤ヶ岳合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
まだ織田信長が
尾張
(
おわり
)
にいたころから、
秀吉
(
ひでよし
)
の
伯母聟
(
おばむこ
)
になる
杉原七郎左衛門
(
すぎはらしちろうざえもん
)
という人が、
清洲
(
きよす
)
に住んで
連尺商
(
れんじゃくあきな
)
いをしていたという話があり、また「
茶壺
(
ちゃつぼ
)
」という
能狂言
(
のうきょうげん
)
では
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
いよ/\
尾州
(
びしゅう
)
清洲
(
きよす
)
のおさとかたへおかえりあそばすことになりました。
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
要旨は、七月一日を期し、
清洲
(
きよす
)
に会同、主家の
継嗣
(
けいし
)
のこと、明智の旧領処分の問題など、当面の重大懸案を議せん——というのであった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小牧
(
こまき
)
であり、大垣であり、岐阜であり、
清洲
(
きよす
)
であり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
どうちゅうつゝがなく
清洲
(
きよす
)
のおしろへ御あんちゃくになりました。
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「
岐阜
(
ぎふ
)
、
清洲
(
きよす
)
などとちがい、彼の地に、菜の花が咲き、桜も散る頃になって、ようやく、野や山が、
斑々
(
まだらまだら
)
に
雪解
(
ゆきげ
)
してまいる」
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「僕は、さほど深謀遠慮あっての取立てとは思わない、単に、
清洲
(
きよす
)
の城の延長に過ぎないではなかろうかと思う」
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
敵の小牧や
清洲
(
きよす
)
を打ッちゃって、一路、徳川の本城地——三河の岡崎へ、味方をすすめたなら、さしもの家康とて、うろたえるにちがいない。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこで、これらの人たちと共に、改めて斬られている奴を検閲すると、これは長く
清洲
(
きよす
)
の
銀杏
(
ぎんなん
)
加藤家に仕えていた下郎に相違ないことが確かめられました。
大菩薩峠:33 不破の関の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
その数々の
縁談
(
はなし
)
のくちで、親たちの眼に
選
(
え
)
り残されているのは、もちろん皆、尾張
清洲
(
きよす
)
の
織田
(
おだ
)
家中ではあるが、とりわけ
日本名婦伝:太閤夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あしたは、早く起きて、
清洲
(
きよす
)
まで行っといで。お役所へ御用の品を持って行くんだからいつもの手押し車へ荷を積んでね。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「では、
於福
(
おふく
)
ではありませんか。もと
清洲
(
きよす
)
の茶わん屋
捨次郎
(
すてじろう
)
の息子。後に、流浪していたのを、しばらく長浜へ拾って飼いおいたことがあるが」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
が、少ない方で、柴田などは出陣そのままの装備と兵力を擁して来たので、無慮一万にちかい
麾下
(
きか
)
を
清洲
(
きよす
)
に入れているだろうという噂であった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長の亡きあと、かれの
眸
(
ひとみ
)
の
威
(
い
)
は、
清洲
(
きよす
)
会議でも、満座を圧し、山崎、
賤
(
しず
)
ヶ
嶽
(
たけ
)
の合戦でも、柴田、滝川の
輩
(
はい
)
をまったく射すくめて来たものだった。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その年の四月、信長は、一族の
織田彦五郎
(
おだひこごろう
)
と乱を
醸
(
かも
)
して、彼の居城、
清洲
(
きよす
)
を攻め、占領後、
那古屋
(
なごや
)
から清洲城へ移った。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この度の御普請中にも、また、常々にも、てまえ密かに思っている儀にござりますが、当
清洲
(
きよす
)
のお城は、どう見ても、水利がよろしゅうございません。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
という触れ出しで、供まわりも極めて小人数だし、支度も軽装のまま、早朝、
清洲
(
きよす
)
から野外へ駈けたのであった。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一頃
(
ひところ
)
から見ると、
清洲
(
きよす
)
の町はさびしくなっていた。人口も減り、大きな商家や侍屋敷の数も目立って
減
(
へ
)
ってきた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、いまではこの
安土城
(
あづちじょう
)
のあとへ、
信長
(
のぶなが
)
の
嫡孫
(
ちゃくそん
)
、三
法師
(
ぼうし
)
丸
(
まる
)
が
清洲
(
きよす
)
からうつされてきて、焼けのこりの
本丸
(
ほんまる
)
を修理し、
故右大臣家
(
こうだいじんけ
)
の
跡目
(
あとめ
)
をうけついでいる。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
従って、
清洲
(
きよす
)
会議にも、このふたりは、単なる遺臣資格でなく、織田家の
外戚
(
がいせき
)
として列していたし、その折の誓約にも、連帯の責任を負っているわけである。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
秀吉とは、
清洲
(
きよす
)
時代からの
莫逆
(
ばくぎゃく
)
の友であり、おたがいの
莫迦
(
ばか
)
も知っていれば長所も知り合っている仲である。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尾州の
清洲
(
きよす
)
、
那古屋
(
なごや
)
あたりとは、街の色や往来の風俗からしてまるで違っていた。道行く者の足の早さ、眼のつかいよう、言語の調子からして違うのである。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、今の栄位を、むしろ
厭
(
いと
)
う気さえこの頃は起った。
徒
(
いたずら
)
に、
清洲
(
きよす
)
時代の
小
(
ささ
)
やかな二人暮しの時ばかり振返られて、良人の内助に、ふと、心のゆるむ日もあった。
日本名婦伝:太閤夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その山崎の合戦から、次いで、
清洲
(
きよす
)
会議にも、もし丹羽五郎左が、秀吉に加担しなければ、時勢は決してあのように、秀吉に飛躍の翼は与えなかったであろう。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
足軽三十人持の
小頭
(
こがしら
)
といっては、まだその足軽よりすこし
足
(
た
)
しなくらいの生活でしかない。
清洲
(
きよす
)
の
侍小路
(
さむらいこうじ
)
の裏に、若い夫婦は、初めて
小
(
ささ
)
やかな家と鍋釜を持った。
日本名婦伝:太閤夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今日、信長が彼を処罰した理由は、いまから二十五年前、信長がまだ
清洲
(
きよす
)
にあって暗愚で乱暴な若殿と——四隣からうとんぜられていた頃の
旧
(
ふる
)
い問題なのである。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御城内の
奥向
(
おくむ
)
きには、自分の縁故ある婦人も、
清洲
(
きよす
)
御在城の頃から長く勤めておる。……委細は御奉行に会わねば何事も語れぬと、こう申す一点張りなのでござる
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ではいよいよ怪しい奴。苦しまぎれの
詭弁
(
きべん
)
とみえます。心得ました。そう分れば、こッぴどい目に遭わせて、馬もろとも、叩き
撲
(
なぐ
)
って、
清洲
(
きよす
)
へ追ッ返してくれましょう」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前田玄以はどう落ちて行ったか、ともかく遺命を守って、後、三法師を奉じて
清洲
(
きよす
)
へ移っている。そしてなおずっと後年には、秀吉の五奉行の一員の中に彼の名が見える。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
初めて
清洲
(
きよす
)
の城で、信長と会見した弱冠から、今日にいたるまで、五分と五分を持していた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(まず、
長島
(
ながしま
)
と
清洲
(
きよす
)
のあいだに兵を上陸させて、信雄と家康とを中断してしまうがよい)
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
の急報によって、信雄と一しょに、
清洲
(
きよす
)
から
岩倉
(
いわくら
)
にかけつけ、またたくまに、布陣して
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
山鹿素行
(
やまがそこう
)
の「武家事紀」などは、秀吉が毛利と和談し、山崎に光秀を討ち、
清洲
(
きよす
)
会議に臨んだ時は、まだ決して、天下を奪う志はなかったものだと云い、ただ、信義の向うところ
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
十七年のあいだに、とにかく
尾張
(
おわり
)
清洲
(
きよす
)
の一被官たるご身分から、これだけに躍進され、積年の悪風を京都から一掃して、旧室町幕府の世頃とは比較にならぬほどなご忠誠ぶりでもある。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鳴海から
清洲
(
きよす
)
への道。それは十九日の旅だった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“清洲(清須市)”の解説
清須市(きよすし)は、愛知県の北西部に位置する市。
尾張地方に含まれる。織田氏の居城である清洲城(清須城)があったことで知られる。
(出典:Wikipedia)
清
常用漢字
小4
部首:⽔
11画
洲
漢検準1級
部首:⽔
9画
“清洲”で始まる語句
清洲城
清洲橋
清洲祭
清洲越
清洲越衆