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ぶじん
ふりがな文庫
“
武人
(
ぶじん
)” の例文
(三)
第
(
だい
)
二の
横穴
(
よこあな
)
に
數人
(
すうにん
)
を
合葬
(
がつそう
)
したるは
主人
(
しゆじん
)
及
(
およ
)
び
殉死者
(
じゆんししや
)
を
入
(
い
)
れたりと
解釋
(
かいしやく
)
せず。
身分
(
みぶん
)
に
格別
(
かくべつ
)
の
隔絶
(
かくぜつ
)
なき
武人
(
ぶじん
)
の、
同日
(
どうじつ
)
の
戰死者
(
せんししや
)
を
合葬
(
がつそう
)
したる
者
(
もの
)
と
考證
(
かうしよう
)
す。
探検実記 地中の秘密:29 お穴様の探検
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
革
(
かわ
)
、
草摺
(
くさず
)
り、
旗差物
(
はたさしもの
)
、
幕
(
まく
)
の
裁縫
(
さいほう
)
、
鎧下着
(
よろいしたぎ
)
、あるいはこまかいつづれ
錦
(
にしき
)
、そのほか
武人
(
ぶじん
)
の
衣裳
(
いしょう
)
につく物や、
陣具
(
じんぐ
)
の
類
(
るい
)
をつくるものばかりが
棲
(
す
)
み、そして
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
布衣
(
ふい
)
から起こって関八州を領した、彼の
小田原
(
おだわら
)
の北條
早雲
(
そううん
)
、武蔵七党の随一と云われた、
立川宗恒
(
たてかわむねつね
)
、同恒成、足利学校の創立者、
武人
(
ぶじん
)
で学者の上杉
憲実
(
のりざね
)
。
剣侠
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
実際、
武人
(
ぶじん
)
たる彼は今までにも、
煩瑣
(
はんさ
)
な礼のための礼に対して疑問を感じたことが一再ならずあったからである。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
何
(
いず
)
れも
手
(
て
)
に
手
(
て
)
に
弓矢
(
ゆみや
)
を
携
(
たずさ
)
え、
馬
(
うま
)
に
跨
(
またが
)
って、
大
(
たい
)
へんな
騒
(
さわ
)
ぎで
出掛
(
でか
)
けたものでございます。
父
(
ちち
)
は
武人
(
ぶじん
)
ではないのですが、それでも
山狩
(
やまが
)
りが
何
(
なに
)
よりの
道楽
(
どうらく
)
なのでした。
小桜姫物語:03 小桜姫物語
(新字新仮名)
/
浅野和三郎
(著)
▼ もっと見る
最後に仙台侯の
邸
(
やしき
)
に打入り
武人
(
ぶじん
)
の面目を保たせて侯に切腹をさせる。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
成経 わしは同じ弓矢をとる
武人
(
ぶじん
)
としてあなたの
義気
(
ぎき
)
に
訴
(
うった
)
えたい。
俊寛
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
『
全
(
まった
)
く
今日
(
こんにち
)
は
思
(
おも
)
い
懸
(
が
)
けない
面会
(
めんかい
)
であった。』と
良人
(
おっと
)
もやがて
武人
(
ぶじん
)
らしい、
重
(
おも
)
い
口
(
くち
)
を
開
(
ひら
)
きました。
小桜姫物語:03 小桜姫物語
(新字新仮名)
/
浅野和三郎
(著)
ことに
厳粛
(
げんしゅく
)
きわまる
武神
(
ぶしん
)
武人
(
ぶじん
)
の
大行事
(
だいぎょうじ
)
、おのずから人の
襟
(
えり
)
をたださしめて、一しゅんののちは、まるで
山雨
(
さんう
)
一
過
(
か
)
して
万樹
(
ばんじゅ
)
のいろの
改
(
あらた
)
まったように、シーンと鳴りしずまったまま
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
文筆の
吏
(
り
)
ではあっても当代のいかなる
武人
(
ぶじん
)
よりも男であることを確信していた。自分でばかりではない。このことだけは、いかに彼に好意を寄せぬ者でも認めないわけにはいかないようであった。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
武人
(
ぶじん
)
宗治
(
むねはる
)
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“武人”の意味
《名詞》
武 人(ぶじん)
(出典:Wiktionary)
武
常用漢字
小5
部首:⽌
8画
人
常用漢字
小1
部首:⼈
2画
“武人”で始まる語句
武人気質