武人ぶじん)” の例文
(三)だい二の横穴よこあな數人すうにん合葬がつそうしたるは主人しゆじんおよ殉死者じゆんししやれたりと解釋かいしやくせず。身分みぶん格別かくべつ隔絶かくぜつなき武人ぶじんの、同日どうじつ戰死者せんししや合葬がつそうしたるもの考證かうしようす。
かわ草摺くさずり、旗差物はたさしものまく裁縫さいほう鎧下着よろいしたぎ、あるいはこまかいつづれにしき、そのほか武人ぶじん衣裳いしょうにつく物や、陣具じんぐるいをつくるものばかりがみ、そして
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
布衣ふいから起こって関八州を領した、彼の小田原おだわらの北條早雲そううん、武蔵七党の随一と云われた、立川宗恒たてかわむねつね、同恒成、足利学校の創立者、武人ぶじんで学者の上杉憲実のりざね
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
実際、武人ぶじんたる彼は今までにも、煩瑣はんさな礼のための礼に対して疑問を感じたことが一再ならずあったからである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
いずれも弓矢ゆみやたずさえ、うままたがって、たいへんなさわぎで出掛でかけたものでございます。ちち武人ぶじんではないのですが、それでも山狩やまがりがなによりの道楽どうらくなのでした。
最後に仙台侯のやしきに打入り武人ぶじんの面目を保たせて侯に切腹をさせる。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
成経 わしは同じ弓矢をとる武人ぶじんとしてあなたの義気ぎきうったえたい。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
まった今日こんにちおもけない面会めんかいであった。』と良人おっともやがて武人ぶじんらしい、おもくちひらきました。
ことに厳粛げんしゅくきわまる武神ぶしん武人ぶじん大行事だいぎょうじ、おのずから人のえりをたださしめて、一しゅんののちは、まるで山雨さんうして万樹ばんじゅのいろのあらたまったように、シーンと鳴りしずまったまま
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文筆のではあっても当代のいかなる武人ぶじんよりも男であることを確信していた。自分でばかりではない。このことだけは、いかに彼に好意を寄せぬ者でも認めないわけにはいかないようであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
武人ぶじん宗治むねはる
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)