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早世
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さうせい
宗助と
小六の
間には、まだ
二人程男の
子が
挾まつてゐたが、
何れも
早世して
仕舞つたので、
兄弟とは
云ひながら、
年は
十許り
違つてゐる。
体仁
早世ましては、
朕が
皇子の
五四重仁こそ国しらすべきものをと、
朕も人も思ひをりしに、
五五美福門院が
妬に
五六さへられて、四の宮の
五七雅仁に
代を
簒はれしは深き
怨にあらずや。
見せて
薫りも
分ち
合ふ
中村園田と
呼ぶ
宿あり
園田の
主人は
一昨年なくなりて
相続は
良之助廿二の
若者何某学校の
通学生とかや
中村のかたには
娘只一人男子もありたれど
早世しての一
粒ものとて
寵愛はいとゞ
手のうちの
玉かざしの
花に
吹かぬ
風まづいとひて
願ふは
幼年より
病身と雖も
御惣領なれば
強て
家督に立給しが綱教卿も同年九月九日御年廿六
歳にて
逝去なり然るに
次男頼職卿も
早世なるに
依紀伊家は
殆ど
世繼絶たるが如し三
男信房卿同家へ
養子と
成せられて
間は
無れ共外に御
血筋なき故まづ左京太夫
頼純の四男
宗通の次男を