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ただおき
ふりがな文庫
“
忠興
(
ただおき
)” の例文
その朝に限って、
迦羅奢
(
がらしや
)
は、特にそんな気もちを抱いて、やがて、いつもの朝の如く、良人の
忠興
(
ただおき
)
の居室へ朝の礼儀をしに行った。
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わが国の
師直
(
もろなお
)
、秀吉と同じく(『塵塚物語』五、『常山紀談』細川
忠興
(
ただおき
)
妻義死の条、山路愛山の『後編豊太閤』二九一頁参照)
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
豊前の国小倉へ来るとともに、太守細川三斎
忠興
(
ただおき
)
が彼を抱えて師範役とした、留まること半歳、早くも中国、九州に名を響かせて鬼と呼ばれた。
巌流島
(新字新仮名)
/
直木三十五
(著)
「この上半を君に進呈し、下半は
忠興
(
ただおき
)
頂戴し、これを以て心を一にして、両家親類和睦の記念とつかまつる」
大菩薩峠:34 白雲の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
秀林院
(
しうりんゐん
)
様(細川越中守
忠興
(
ただおき
)
の夫人、秀林院殿
華屋宗玉大姉
(
くわをくしゆうぎよくだいし
)
はその
法諡
(
ほふし
)
なり)のお果てなされ
候
(
さふらふ
)
次第のこと。
糸女覚え書
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
その話の一ツは最初に秀吉が細川越中守
忠興
(
ただおき
)
を会津守護にしようとしたところが、越中守忠興が固く辞退した、そこで
飯鉢
(
おはち
)
は氏郷へ廻った、ということである。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
秀吉ついに、丹羽長秀、筒井順慶、長岡(後の細川)
忠興
(
ただおき
)
等三万の兵を率いて、濃州へ打って出でた。
賤ヶ岳合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
しかるに横田家の者どもとかく異志を存する由相聞え、ついに
筑前国
(
ちくぜんのくに
)
へ
罷越
(
まかりこ
)
し
候
(
そろ
)
。某へは三斎公御名
忠興
(
ただおき
)
の
興
(
おき
)
の字を
賜
(
たま
)
わり、沖津を興津と相改め
候
(
そろ
)
様
(
よう
)
御沙汰
(
ごさた
)
有之候。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
松井佐渡守といふのは、当国小倉の城主細川
忠興
(
ただおき
)
の老臣として聞えた人でした。
小壺狩
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
三ばんめの娘
伽羅沙
(
がらしゃ
)
の
良人
(
おっと
)
細川
忠興
(
ただおき
)
の父——細川藤孝は酔うとよくこのはなしを持ち出して、光秀の苦笑を求めたものだった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
床の間に並べ有之候御
位牌
(
いはい
)
三基は、某が奉公
仕
(
つかまつ
)
りし細川越中守
忠興
(
ただおき
)
入道宗立三斎殿御事松向寺殿を
始
(
はじめ
)
とし、同越中守
忠利
(
ただとし
)
殿御事妙解院殿、同肥後守
光尚
(
みつひさ
)
殿御三方に候えば
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
その上、光秀は女婿の細川
忠興
(
ただおき
)
と親友の筒井順慶など、きっと味方してくれると思ったに違いない。光秀は、順慶の世話は随分焼いていたのだから、そう思うのも当然であった。
山崎合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
泉州
鷺
(
さぎ
)
ノ森の本願寺一門、伊賀上野の
筒井順慶
(
つついじゅんけい
)
、山陰の
細川藤孝
(
ほそかわふじたか
)
、その子
忠興
(
ただおき
)
などの親族から、
近畿
(
きんき
)
のこれと思う有力者には、
悉
(
ことごと
)
く
飛檄
(
ひげき
)
した。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
光秀と
細川藤孝
(
ほそかわふじたか
)
、その子
忠興
(
ただおき
)
との関係は密接である。藤孝と光秀とは、多年、
莫逆
(
ばくぎゃく
)
の友たるのみならず、光秀のむすめの
伽羅沙
(
がらしゃ
)
は、忠興の妻でもある。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
浅野
長吉
(
ながよし
)
、杉原
家次
(
いえつぐ
)
、黒田官兵衛、細川
忠興
(
ただおき
)
、高山右近
長房
(
ながふさ
)
、
蒲生氏郷
(
がもううじさと
)
、
筒井順慶
(
つついじゅんけい
)
、羽柴秀長、
堀尾茂助吉晴
(
ほりおもすけよしはる
)
、蜂須賀小六
家政
(
いえまさ
)
、稲葉入道
一鉄
(
いってつ
)
——など。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
忠興
(
ただおき
)
の心は、決しておりまする。わたくしの妻へなど、小さい
御不愍
(
ごふびん
)
はおかけ下さいますな。私の妻の処置は、私へおまかせ置き願わしゅうぞんじます」
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すでに北陸から移るやいな、細川藤孝、
忠興
(
ただおき
)
の御父子とともに、丹波へ進まれ、
亀山
(
かめやま
)
の守将内藤一族を軍門に降して、着々、実績をあげておられるではないか。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
が、
迦羅奢
(
がらしや
)
夫人が、もっと
困
(
こう
)
じ果てていることは、
忠興
(
ただおき
)
の余りに度の過ぎた強い愛情のあふれであった。
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は、名将の聞えの高い
三斎公
(
さんさいこう
)
——
豊前小倉
(
ぶぜんこくら
)
の城主細川
忠興
(
ただおき
)
の家職であるから、寺へ来る日は、もちろん縁者の命日とか、公務の小閑に、杖を曳いて来るのである。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
田中ノ陣
堀秀政
(
ほりひでまさ
)
、
蒲生氏郷
(
がもううじさと
)
、
長谷川秀一
(
はせがわひでかず
)
、加藤
光泰
(
みつやす
)
、細川
忠興
(
ただおき
)
など。(総数一万三千八百人)
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幽斎の子三斎
忠興
(
ただおき
)
との友情も、当然この頃に結ばれていなければならない。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
兄の細川与一郎(
忠興
(
ただおき
)
)は、総がかりとなるや、味方のまっ先に本丸へ斬り入り、弟の
頓五郎
(
とみごろう
)
(
興元
(
おきもと
)
)も、兄に負けじと、躍りこんで、兄弟、
矢弾
(
やだま
)
の中に奮戦して、松永久秀の旗本三人までを
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
細川
忠興
(
ただおき
)
、
忠利
(
ただとし
)
と、もう小倉城も二代にわたる
国主
(
こくしゅ
)
の府となっていた。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
幽斎
(
ゆうさい
)
の息子、与一郎
忠興
(
ただおき
)
、あれはもう
幾歳
(
いくつ
)
になるな?」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この与一郎こそは、後の細川三斎、越中守
忠興
(
ただおき
)
であった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
陣旗を見ると、細川与一郎
忠興
(
ただおき
)
の持場であった。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一陣、細川
忠興
(
ただおき
)
、二陣に
蒲生氏郷
(
がもううじさと
)
。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“忠興”の解説
忠興(ただこう)は、愛知県豊橋市の地名。
(出典:Wikipedia)
忠
常用漢字
小6
部首:⼼
8画
興
常用漢字
小5
部首:⾅
16画
“忠”で始まる語句
忠実
忠
忠義
忠相
忠實
忠諫
忠利
忠顕
忠告
忠節