帯刀たてわき)” の例文
旧字:帶刀
「はい、帯刀たてわきさまの奥さま嬢さまがたがお預けになりましたとき、おばあさま、——慶月院さまから、付いてゆけと申されましたので」
明治新政府の外交官として伊藤〔博文ひろぶみ〕、井上〔かおる〕、後藤(象二郎しょうじろう)、寺島〔宗則むねのり〕、小松(帯刀たてわき)や我輩が任命せられた。
青年の天下 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
「これはいったいどうしたことだ? 帯刀たてわき様の下屋敷ではないか」後をつけて来た葉之助は、驚いて呟いたものである。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
松平信祝からの火急の使者が来たので、紀州家附家老つけがろう、安藤帯刀たてわきは、自慢の南紀重国なんきしげくにの脇差と、蜜柑一籠ひとかごとを、家来に持たせて、かごを急がせてきた。
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
次に麻布あざぶの或る家に奉公した。次に本郷弓町の寄合衆よりあいしゅう本多帯刀たてわきの家来に、遠い親戚があるので、そこへ手伝に往った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大坂を立つ時は小松帯刀たてわきと伊藤俊介とが付き添い、京都にはいった時は中井弘蔵と後藤象次郎とが伏見稲荷いなりの辺に出迎え、無事に智恩院の旅館に到着した。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そしてついに安倍野であのような忠烈な戦死をとげたのだ。……それとくらべて、楠木帯刀たてわき正行はどうかの?
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かなりの大豪傑であろうと思われるが、しかし、薩摩において西郷ばかりが人物ではあるまい、小松帯刀たてわきや大久保一蔵は、西郷に優るとも劣ることなき豪傑だという評判じゃ
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬かいばの料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋いずみばしのあたりは市橋壱岐守いきのかみと富田帯刀たてわきの屋敷の者が刈りに来ていたんですが
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小大夫(小松帯刀たてわき
乾鮭や帯刀たてわき殿の台所
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
松平帯刀たてわき
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「役人たちは礼を尽した応待だった、なかにも囚獄奉行の石出帯刀たてわきは、我々を招じて左内の在獄中の起居から最期の模様まで精しく語って呉れた」
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
怖ろしく短気に見える信長の一面に、こういう気長な寛度かんどがあるのが、帯刀たてわきには、ふしぎにさえ思われた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小松帯刀たてわき、木戸準一郎、後藤象次郎ごとうしょうじろう、伊藤俊介、それに京都旅館の準備と接待とを命ぜられた中井弘蔵こうぞうなぞは、どんな手配りをしてもその勤めを果たさねばならない。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
融通ゆうずうの利かぬ男じゃから、帯刀たてわきと談合の上、丁度ちょうど、感応院の蔵の中に、宝沢の笠のあったのを幸い、犬の血をつけて、切り目を作っての、越前の下役共の先廻りをして
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
帯刀たてわきヲ世話ヲシタコトヲ思イ出シタカラ、問屋ヘ行ッテ、雨ノ森ノ神主中村斎宮いつきマデ、水戸ノ御祈願ノコトデ行クカラ駕籠かごヲ出セトイウト、直グニ駕籠ヲ出シテクレタカラ、乗ッテ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうして騒動の元兇は、これは少しくおそれ多いが殿のご舎弟帯刀たてわき様だ。……いやいやこれには理由がある。しかしそれはゆっくりと云おう。ところで二人の相棒がある。玄卿と大鳥井紋兵衛だ。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
有名な中川帯刀たてわきもやはりこの番士の一人でした。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小砂利の鳴る音を聞いたからであるが、振返ってみると帯刀たてわきであった。萱笠すげがさをかぶり短袴たんこに草履ばきで、釣竿つりざお魚籠びくを持ち、餌箱えばこひもで肩に掛けていた。
明智茂朝しげとも、村越三十郎、進士作左衛門、堀与次郎、比田帯刀たてわきなどの腹心たちはそう慰め合っていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都の方へは中井弘蔵こうぞうが数日前に先発し、小松帯刀たてわき、伊藤俊介しゅんすけらは英国公使と同道で大坂を立って行った。ロセスらの一行が途中の無事を祈り顔な東久世通禧ひがしくぜみちとみの名代もそのはしけまで見送りに来た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それにもう一つ紋兵衛は、五千石の旗本で、駿河守には実の舎弟、森家へ養子に行ったところから、森帯刀たてわきと呼ばれるお方から、密々に使者つかいいただいていたので、上京しなければならないのであった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
帯刀たてわきは話しをやめて、じっと宇乃うのの横顔を見まもった。彼は原田家の嗣子で、年は十七歳になる。父の甲斐には似ていない、おそらく母親似なのであろう。
師泰もろやす帯刀たてわきの両将が、勝戦かちいくさのよしを言上ごんじょうのため、つぼの内へ来て、さしひかえておりますが」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宗誠は元服して帯刀たてわきとなのらせた。そして端午の節句を済ませると、甲斐は甚次郎(山)の小屋へ去った。
「おそれいるが、帯刀たてわき殿御一名だけ、もいちど御所の別院までお立返りくだされまいか」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまいる帯刀たてわきでさえ、できるなら縁を切ってしまいたい。自分は「独り」でありたい、と甲斐は思った。
その御放言こそ、すでに死を急がれておるしるしです。帯刀たてわきはあくまでもお止め申しあげる。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのころ能登守には帯刀たてわきという世子がいたし、その下にも右京、主計、市蔵など男子が五人もあった。
野分 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
謙信が人いちばい目をかけていた山本帯刀たてわきなどは、阿修羅あしゅらとさえ称ばれた者であった。いつの戦いでも、退がねが鳴って味方が退き出しても、いちばん最後でなければ敵中から帰って来なかった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
七十日ほどまえ、物頭の上田帯刀たてわき(仲敏)という者が、咎めを受けて、家禄没収、その身は片倉小十郎に預けられ、妻子は古内源太郎に預けられる、ということになった。
さような時も時なる折に、敵の真正面にあたるべき帯刀たてわき正行が、一夜を母のふところへ帰って寝、また一日を悠々と、ここの行宮あんぐうになどまかり出て来てよいものか。あまりと申せば敵を知らなすぎる。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ただ一つだけ申しましょう。こんど孫の帯刀たてわきに縁談が起こりました、相手は松山の娘です」
と、細川帯刀たてわきと、高ノ師泰とは、こもごも彼の前に報告しだした。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この下屋敷の年寄役だ、名は帯刀たてわきと云って、なかなか頑固でむずかしいじいさんだよ」
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
不審いぶかるひまに、帯刀たてわきはそこを起って、もう望楼へ上っていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明くる日、——高木新左衛門は律之助をつれて小伝馬町の牢へゆき、囚獄奉行の石出帯刀たてわきに彼をひきあわせた。高木はなにも云わなかったし、律之助もよけいなことは訊かなかった。
しじみ河岸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
帯刀たてわきは、責められたように、無言でを下げた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝田隼人はやとが江戸から帰るとすぐに、小池帯刀たてわきが訪ねて来た。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「——それでもよい。まあいうてみい、帯刀たてわき
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帯刀たてわきも、その功臣中の一名の子だった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帯刀たてわき。なぜ止める?」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帯刀たてわきか。なんじゃ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)