大旆たいはい)” の例文
打倒尊氏の大旆たいはいをひるがえして、その郷土郷土からふるい立ち、信濃の宗良むねなが親王軍も、ぞくぞく碓氷うすい峠を南へくだっているという。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元大坂の吟味与力の陽明学者の大塩平八郎が飢民救済の大旆たいはいのもとに大坂城代を焼き打ちしたのはすなわちこの頃の事である。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
唯、得難きは当年のル・メルキウルに、象徴主義の大旆たいはいてしが如き英霊底えいれいていかん一ダアスのみ。(一月二十六日)
今はその水一つが敵と味方との分れ目となって、護らねばならぬ筈の徳川御連枝ごれんしたる水藩が、率先勤王倒幕の大旆たいはいをふりかざし乍ら、葵宗家あおいそうけに弓を引こうとしているのだ。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
とりもなおさず、これが今度の降矢木事件の象徴シムボルという訳さ。犯人はこの大旆たいはいを掲げて、陰微のうちに殺戮さつりくを宣言している。あるいは、僕等に対する、挑戦の意志かもしれないよ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それは関八州横領の威に誇っていた北条氏であった。エエ面倒な奴、一かたまり引ッコ抜いて終え、と天下整理の大旆たいはいの下に四十五箇国の兵を率いて攻下ったのが小田原陣であったのだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かかる折から卒然崛起くっきして新文学の大旆たいはいを建てたは文学士春廼舎朧はるのやおぼろであった。
大亜細亜主義の大旆たいはいでも振りかざして政府を泣かせることを職業とするムッソリーニ式英雄を思い出すが、黒岩涙香というペンネームをきくと、どうしてもああ無情や鉄仮面の読者を思い出す。
黒岩涙香のこと (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
ほだの火の大旆たいはいのごとはためきぬ
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手どきゅうしゅ五百、槍戟そうげきの歩兵八百余に、はん旒旗りゅうき大旆たいはいなどまんまるになって中軍を固めた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関上遥けき一天を望むと、錦繍きんしゅう大旆たいはいやら無数の旗幟きしが、颯々さっさつとひるがえっている所に、青羅の傘蓋さんがい揺々ようようと風に従って雲か虹のように見えた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が若年から戦うごとに世の群雄へ臨む秘訣としていた「尊朝救民」の大旆たいはいは、為にまったく自己が覇権を握るための嘘言きょげんに過ぎなかったことを
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大旆たいはいってしまった。ここにおいてか、官兵衛が舌頭の無血攻略も、苦心の地盤じばん工作も、一朝のまに、すべてが画餅がべいのすがたに帰ってしまった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがてくれないふちをとった紅炎旗に「兵馬総監しん、統制」と書いた大旆たいはいを朝風にひるがえして、兵五百の先頭に立った秦明は、馬上から鼓楼ころう床几しょうぎへ向って
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このあいだに、宗良むねなが親王の大旆たいはいは、碓氷うすいから武蔵の小手指こてさしはらに着き、新田義興よしおき(義貞の二男)と脇屋義治(義助の子)を両翼とし、ほとんど武蔵野を風靡ふうびしていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はるかふもとの道すじや民家や田園にいたるまで、旗や大旆たいはいや馬のいななきに煙っていた。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孜々ししとして活動しはじめるうちに、はやくも信玄の本営の幕囲かこいは八幡神社の境内に張りめぐらされ、かの孫子の大旆たいはい、諏訪明神の旗は、もう血ぶるいして鳴りはためき、帷幕の十二将
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
定めて、ちん自ら水陸の軍をひきい、討魏の大旆たいはいをかかげて長江をのぼるであろう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
端午たんごをすまして、五月の十二日に、義元の本陣は、嫡子ちゃくし氏真うじざねを留守居として府中に残し、沿道の領民が歓呼して見送る中を、歩武堂々ほぶどうどう、天日の光を奪うばかりな華麗豪壮な武者、馬印、大旆たいはい
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なる大旆たいはいを持っているのだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
旗幡きはん大旆たいはいを植えならべた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)