-
トップ
>
-
壯年
>
-
さうねん
余は
現時人より
羨まるゝ
程の
健康を
保ち
居れども、
壯年の
頃までは
體質至つて
弱く、
頭痛に
惱まされ、
胃を
病み、
屡風邪に
犯され、
絶えず
病の
爲に
苦めり。
然しそれは
分別ある
壯年の
間にのみ
解釋し
記憶された。
其の
事件の
内容は
勘次のおつぎに
對する
行爲を
猜忌と
嫉妬との
目を
以て
臆測を
逞しくするやうに
興味を
彼等に
與へなかつた。
爰に
備前國岡山御城主高三十一萬五千二百石松平
伊豫守殿の
藩中松田喜内と云ふ者
有代々岡山に
住居せしが當時の喜内は
壯年なるに兩親を
亡ひ未だ妻をも
娶らず獨の妹お花と云るを
見れば上段の
簾の前に
頭は
半白にして
威有て
猛からぬ一人の
侍ひ
堂々として控へたり是ぞ山内
伊賀亮なり次は未
壯年にして
骨柄賤しからぬ
形相の侍ひ二人是ぞ赤川
大膳と藤井
左京にて何れも大家の家老職と云とも
恥かしからざる
人品にて
威儀を