入洛じゅらく)” の例文
嚇怒かくどして播磨を衝き、次いで義政の許しを得ないで入洛じゅらくした。当時此の駄々ッ児を相手に出来るのは細川勝元だけであった。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
なによりは、末はともあれ、将軍家を立てておき、そして、入洛じゅらくの第一に、皇居の修築をなされた。それも思いきって、大規模になされた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藩主入洛じゅらく報知しらせが京都へ伝わる日のことをおもって見た。藩主が名古屋まで到着する日にすら、強い反対派の議論が一藩の内に沸きあがりそうに思えた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信長について入洛じゅらくし、将軍の位についた義昭は、万端信長の意にまかして、いかにも信長の恩義を徳とするフリをしてみせたが、老蝮の処刑ばかりは、さすがに大いに言い張った。
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
それだのに植通はその信長に対して、立ったままに面とむかって、「上総かずさ殿か、入洛じゅらくめでたし」といったきりで帰ってしまった。上総殿とは信長がただこれ上総介かずさのすけであったからである。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
不気味なお土産みやげだけに、いくたの論議が繰り返されたが、結局、保延ほうえん四年神輿入洛じゅらくの前例にならって、祇園の神社に奉置することに話が決まり、夕刻を選んで、祇園別当、澄憲ちょうけんの手で
入洛じゅらくすると即日、彼は参内さんだいしていた。天機奉伺てんきほうし伝奏てんそうを仰いで、その日はもどり、あらためて堂上の月卿雲客げっけいうんかくを招待して、春の大宴を張った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南信東濃地方から勤王のため入洛じゅらくを思い立って来る平田の門人仲間で、彼の世話にならないものはないくらいだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「福原の入道相国には、何をまた、思いたがえたか、物々しゅう軍馬を呼びあつめて、の地より入洛じゅらくあるとのしらせである」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
将軍の還御かんぎょを語る通行も終わりを告げた。その時になると、わずか十日ばかりの予定で入洛じゅらくした関東方が、いかに京都の空気の中でもまれにもまれて来たかがわかる。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信長入洛じゅらくの事、聞き及ぶが如く也。将軍を擁立ようりつし、四民を欺瞞ぎまんせんとするも、政事まつりごとわたくしし、その暴虐ぼうぎゃくぶりは、日をうておおがたいものがある。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうど水戸藩主も前後して入洛じゅらくしたが、将軍家の入洛はそれと比べものにならないほどのひそやかさで、道路に拝観するものもまれであった。そればかりではない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かつての月卿雲客げっけいうんかくも、人違いするばかりなやつれ方やらごろものまま、怪しげな竹籠たけかご伝馬てんま板輿いたごしなどで、七条を東へ、河原のぼりに入洛じゅらくして来た。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その時になると、長州藩主父子は官位を復して入洛じゅらくを許さるることとなり、太宰府だざいふにある三条実美さねとみらの五卿もまた入洛復位を許されて、その時までの舞台は全く一変した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信長は入洛じゅらくしていて、岐阜ぎふは留守だし、加うるにその以前、信長が長嶋門徒の剿滅そうめつにかかったとき、家康から援軍を送らなかったので、二国同盟の信義も
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
将軍入洛じゅらく以前にすでに攘夷期限を迫られていたほどの時である。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信忠は父よりすこし先に入洛じゅらくして、二条城のそばの妙覚寺を宿舎としていた。父が入洛の夕も、きのうも今日もここへ詰めて、いささか疲れぎみでもある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「うわさの実否を確かめんものと、洛外遠くまで出向いて参りましたが、平軍入洛じゅらくの事は、虚報にござりまする。明日あすとも知れませぬが、こよいはまだ……」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ入洛じゅらく早々なので、幕府の政庁も将軍の第宅ていたく普請ふしんにかかっている間がない。——そのやかたのできるまでを、新将軍は、本国寺を仮の住居としていたのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が、心ひそかに、おそれていたものは、味方の兵力に十数倍する彼の一挙に入洛じゅらくを図って来ることだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利義昭あしかがよしあきを追放した後、信忠の父信長が、旧館を破毀はきして、新たに造営を加え、入洛じゅらくの折は、ここを宿所としていたこともあるが、いまは恐れ多い御方の御所となっていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとばし慶喜よしのぶは、摂海せっかい警備視察という触れで、十二月には、入洛じゅらくの予定だった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことに、羽柴はしばじゅ参議秀吉さんぎひでよし入洛じゅらくちゅうのにぎやかさ。——金の千瓢せんなり、あかい陣羽織じんばおり、もえおどし小桜こざくらおどし、ピカピカひかる鉄砲てっぽう、あたらしい弓組、こんな行列が大路おおじ小路こうじに絶えまがない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)