一張羅いっちょうら)” の例文
その妻は、私の留守中、一張羅いっちょうらの着物を質に入れたという。世間の常識からいっても、誰にきかせても、与論は妻の味方であろう。
野狐 (新字新仮名) / 田中英光(著)
殆夜中上野の茶屋に、盃盤狼藉はいばんろうぜきとしていた事もある。その時彼は久米正雄の一張羅いっちょうらの袴をはいた儘、いきなり其処の池へ飛込んだりした。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
挨拶あいさつした婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅いっちょうらの小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこらじゅうはたきをかけはじめた。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
一張羅いっちょうらの晴着に空模様ばかり気にしては花見の興も薄かるべし。日の暮るるも知らで遊び歩くは不断着の尻端折しりはしょりにしくぞなき。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
こないだ一張羅いっちょうらを曲げにいったとき、番頭がぬかしたんですよ。世間が繁盛すると、妙なものまでがはやりだすもんです。
免状授与式の日は勿論であるが、定期試験の当日も盛装して出るのが習いで、わたしなども一張羅いっちょうらの紋付の羽織を着て、よそ行きの袴をはいて行った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから故郷を出ますときに柴忠さんのお嬢さまから頂いた一張羅いっちょうらの着物と着かえまして、先生御夫婦のお伴をして上野から鉄道馬車に乗りましたが
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その性根で用意したまつりおどりに行く時の一張羅いっちょうらを二人はひっぱって来た。白いものも洗濯したてを奮発ふんぱつして来た。
売春婦リゼット (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それで学校に式のある時など、他の教師は皆礼服で列席するのに、ヘルンは一張羅いっちょうらの背広でし通していた。
だって、あとはどうするエ。一張羅いっちょうらを無くしては仕様がないじゃあないか、エ、後ですぐ困るじゃ無いか。
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
稼業用しょうばいよう一張羅いっちょうらを濡らしましてはかないません。やって参りませんうちに、いそぎますでございます」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
薄化粧に、一張羅いっちょうららしい銘仙めいせんを着て、赤い帯も、黒い髪も、水へも火へも飛込みそうな、純情無垢むく象徴シンボルに見えて、平次の目には危なっかしくてならないのでした。
「出かけたんだわ、一張羅いっちょうら上衣うわぎがないもの」とHさんはつぶやいて、首を引つこめようとしましたが、うしろから覗きこんでゐる千恵に気がつくと、すぐまた気を変へて
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
と引立てるようにされて、染次は悄々しおしおと次に出た。……組合の気脉きみゃくかよって、待合の女房も、抱主かかえぬし一張羅いっちょうらを着飾らせた、損を知って、そんなに手荒にするのであろう、ああ。
第二菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼女はとっくに裸になってしまって、いつも妹の派手なお召の一張羅いっちょうらで押し通していた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
妻は一張羅いっちょうらの夏帯をらすまいとて風呂敷を腰に巻き、単衣の裾短に引き上げて、提灯ぶら提げ、人通りも絶え果てた甲州街道三里の泥水をピチャリ/\足駄に云わして帰った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「なに、これから生きようとするもの、これから生かそうとするもの、そんなものがこの世にあるか知ら、この一枚看板の一張羅いっちょうら、生かそうと殺そうと、質屋の番頭の腕次第……」
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼は、たまりの内へはいって、壁に懸けてある例の青木綿の一張羅いっちょうらを引っかけた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そいつらが会というと、一張羅いっちょうらを着込んで集まってきて、小柳雅子を囲んで、もっともらしい顔をして、小柳嬢の芸風はなんどと論争をしたりする光景は、こいつはちょっと見ものですわ。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
そんな大使館の物凄ものすごい野郎なぞと張り合う気で来たのではなかったから、私は別段に一張羅いっちょうらも着用せずふだんのままの膝ッコのできた洋服に、泥靴でペッタンペッタンとやって来たのであったが
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
どういう積りか、彼は洋服箱の中から仕立おろしのあいのサック・コートと、春外套を出して身につけた。学校を出てからまだ勤めを持たぬ彼には、これが一張羅いっちょうら外出着よそゆきで、可成かなり自慢の品でもあった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
三両くだすったから大いばりで、このとおり一張羅いっちょうらを受け出して、遅れちゃならねえと駕籠かごをおごって来たんです。
急いで貯金帳を取ろうとする桂子にそれを返し、ヒョイと苦笑に似たものが浮ぶ。一張羅いっちょうらを質屋に入れた妻。
野狐 (新字新仮名) / 田中英光(著)
すると霊岸町れいがんちょうの手前で、田舎丸出しの十八、九の色のあおい娘が、突然小間物店こまものみせひろげて、避ける間もなく、私の外出着の一張羅いっちょうら真正面まともに浴せ懸けた。私はせんすべを失った。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お時は一張羅いっちょうらの晴れ着をぬいで、ふだん着の布子ぬのこと着替えた。それから大事そうに抱えて来た大きい風呂敷包みをあけて、扇子や手拭や乾海苔やするめなどをたくさんに取り出した。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
通な人達からはこのしろの腹と言われるピカピカの一張羅いっちょうら、それを寝押して夜昼オッ通して着ているらしく、部屋の中の調度も、田舎芝居の小道屋のようで、何となくケバケバしく見えます。
主人の彼は例のカラカフス無しの古洋服の一張羅いっちょうらに小豆革の帯して手拭を腰にぶらさげ、麦藁の海水帽をかぶり、素足すあしえくたれた茶の運動靴をはいて居る。二人はさッさと歩いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ある日その「三太」が「青ペン」のおかみ一張羅いっちょうらの上へ粗忽そそうをしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。
温泉だより (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一張羅いっちょうら黒紬くろつむぎの羽織を引っ掛けた。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)