駘蕩たいとう)” の例文
馬琴の家庭は日記の上では一年中低気圧に脅かされ通しで、春風駘蕩たいとうというような長閑のどかなユックリとした日は一日もなかったようだ。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ということで、ご自分が、その八寸五分のスマートに他ならぬと固く信じて疑わぬ有様で、まことに春風駘蕩たいとうとでも申すべきであって
散華 (新字新仮名) / 太宰治(著)
駘蕩たいとうの気分を高潮さすべく、最もふさわしい諧調にまで、元始以来洗練され、遺伝されて来ている諧調の定型であるかのように思われる。
能とは何か (新字新仮名) / 夢野久作(著)
右手の岸には巍峨ぎがたる氷山が聳えている。左は駘蕩たいとうたる晩春初夏の景色、冷い風と生暖い温気とがこもごも河づらを撫でる。
コン吉は今日こそは正当まともな昼飯にありつけると、心情いささか駘蕩たいとうたる趣きをていしかけて来たところ、アランベエル商会は、その町の入口で
人で埋った華奢きゃしゃな橋の欄干は、ぎっしりと鯉で詰った水面で曲っていた。人の流れは祭りのように駘蕩たいとうとして、金色の招牌しょうはいの下から流れて来た。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
酒を愛し、郷人を愛し、いつも春風駘蕩たいとうといったような大人たいじん風な好々爺であったらしい。ぼくの母は子沢山の中の四女で、名は、いく子であった。
はいって来た由利江は、例の駘蕩たいとうたる微笑をうかべながら挨拶をし、今日はおねだりをしにまいりましたと云った。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
怒っているような、いかめしい顔つきではなくて、いかにも春風駘蕩たいとうといったような顔つきです。朗らかな、やさしい顔つきといったらよいでしょう。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
さいわいにして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然こんぜんとして駘蕩たいとうたる天地の大気象にはかなわない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この狂風が自分で自分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩たいとうの春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。
ジャーナリズム雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ともすればものう駘蕩たいとうたる春霞の中にあって、十万七千の包囲軍はひしひしとひしめき合って小田原城に迫って居る。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
前者は春風駘蕩たいとう、後者は寒風凛烈りんれつ! どんなに寒い日でも熊田校長は外套がいとうを着ない、校長室に火鉢もおかない、かつて大吹雪おおふぶきの日、生徒はことごとくふるえていた日
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
春風駘蕩たいとうには、超然としたところがあっていやみげが少ないらしい。父様の御なかの工合が悪くて、機嫌を悪くして被居っしゃる。夜は「鈍色の夢」を少し考えて見る。
歳月は墓石に白い百年のこけをきざみ込んだ後の年、時はあたかも駘蕩たいとうの春の半ばだった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
この十七字をじゅして、駘蕩たいとうたる春風をおもに感ぜぬ者は、ついに詩を解するの人ではない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
六時の鳴るのをも耳にした。七時の打つのも聞いた。八時の鳴るのも数えていた。駘蕩たいとうたる春の夕もようやくに暮れ、窓から見上げる真っ暗な大空には無数の星が燦々きらきらと輝いていた。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
春風が駘蕩たいとうと吹いている、そういうのどかな春の日に人が歩いているというので、そこで前の単に道を歩くというのにくらべるというと、だいぶ複雑な感情が起こるようになってくる。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ヴィルギリウスの『詠農ゲオルギカ』巻の三に、春色駘蕩たいとうたる日牝馬慾火に身を焼かれ、高い岩に飛び上がり西に向って軟風を吸う、奇なるかなかくして馬が風のために孕まさるる事しばしばあり
そうしてまた、如何に彼は、その放埓の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たいとうたる瞬間を、味った事であろう。彼はおのれを欺いて、この事実を否定するには、余りに正直な人間であった。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
不動のみ姿ではあるが、いまにも浮々と遊び出るような春風駘蕩たいとうたる風格もしのばれる。そういうなつかしさがあって、たとえば法隆寺金堂天蓋てんがいに奏楽する天人達の面影おもかげに近い。しかし不動である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
駘蕩たいとうたる夜気をうごかす千丈の髪。
一、天機らすべからず花合戦の駆引き。駘蕩たいとうたる紺碧の波に浮ぶ、ここは「ニース突堤遊楽館カジノ・ド・ラ・ジュテ・ド・ニース」の華麗なる海上大食堂。
処女の波は彼の胸の前で二つに割れると、揺らめく花園のように駘蕩たいとうとして流れていった。
街の底 (新字新仮名) / 横光利一(著)
城代家老の満信みつのぶ文左衛門は温厚な徳人である。思慮綿密、喜怒を色に表わさず、かつて人をしかったことなく、声をあげて笑わず、沈着寛容、常に春風駘蕩たいとうといった人格であった。
思い違い物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
美しいし可愛いしいいのですが、パッチリしたところなく、春風駘蕩たいとうで頭の中もそうかもしれません。「はしきやし」はいそがしい最中で、とても色紙買いにゆけず、そのままです。
春風駘蕩たいとうたる時代でもなかった。仏像の美にひかれるままに経文を読み、また日本書紀や上宮聖徳法王帝説に接するにおよんで、私の眼ははじめて飛鳥の地獄にひらかれるようになったのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
あんな無意味な騒ぎ方をしているのではないかしらと疑いたくさえなった程で、とにかく、藤野先生の講義そのものは、決して私の予期していたような春風駘蕩たいとうたるものではなく、痛々しいくらいに
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
春風駘蕩たいとうたる野道をとぼとぼと歩きながら句を拾うのであった。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
涼しく澄みとおった双眸そうぼう、鼻も口も耳も頬も、雑作ぞうさくのすべてが選りぬきの資材と極上の磨きでととのえられている、しかも潤沢な水分と弾力精気に充満した肉躰、駘蕩たいとうとしてしかも凛然りんぜん典雅なる風格
有難く近よりがたいが、同時に春風駘蕩たいとうとして楽しいのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)