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づし
ふりがな文庫
“
逗子
(
づし
)” の例文
前
(
まへ
)
にいつたその
逗子
(
づし
)
の
時分
(
じぶん
)
は、
裏
(
うら
)
の
農家
(
のうか
)
のやぶを
出
(
で
)
ると、すぐ
田越川
(
たごえがは
)
の
流
(
なが
)
れの
續
(
つゞ
)
きで、
一本橋
(
いつぽんばし
)
を
渡
(
わた
)
る
所
(
ところ
)
は、たゞ
一面
(
いちめん
)
の
蘆原
(
あしはら
)
。
木菟俗見
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
何故
(
なぜ
)
だらうと思つて聞いて見ると、この奥さんの
良人
(
をつと
)
が
逗子
(
づし
)
の別荘に
病
(
やまい
)
を養つてゐた時分、奥さんは
千枝
(
ちえ
)
ちやんをつれて、一週間に二三度
宛
(
づつ
)
東京逗子間を往復したが
東京小品
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
此れは
逗子
(
づし
)
の
浦曲
(
うらわ
)
に住む漁師にて候、吾れいまだ天長節外務大臣の夜会てふものを見ず候ほどに
燕尾服着初めの記
(新字旧仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
逗子
(
づし
)
の旅からはるばると
晶子詩篇全集
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
相州
(
さうしう
)
逗子
(
づし
)
に
住
(
すま
)
つた
時
(
とき
)
、
秋
(
あき
)
もややたけた
頃
(
ころ
)
、
雨
(
あめ
)
はなかつたが、あれじみた
風
(
かぜ
)
の
夜中
(
よなか
)
に、
破屋
(
あばらや
)
の
二階
(
にかい
)
のすぐその
欄干
(
らんかん
)
と
思
(
おも
)
ふ
所
(
ところ
)
で、
化
(
ば
)
けた
禪坊主
(
ぜんばうず
)
のやうに、
哃喝
(
どうかつ
)
をくはしたが、
思
(
おも
)
はず
木菟俗見
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
▼ もっと見る
大船
(
おほふな
)
に
停車
(
ていしや
)
の
時
(
とき
)
、
窓
(
まど
)
に
立
(
た
)
つて、
逗子
(
づし
)
の
方
(
かた
)
に
向
(
むか
)
ひ、うちつけながら
某
(
それがし
)
がお
馴染
(
なじみ
)
にておはします、
札所
(
ふだしよ
)
阪東第三番
(
ばんどうだいさんばん
)
、
岩殿寺
(
いはとのでら
)
觀世音
(
くわんぜおん
)
に
御無沙汰
(
ごぶさた
)
のお
詫
(
わび
)
を
申
(
まを
)
し、
道中
(
だうちう
)
無事
(
ぶじ
)
と、
念
(
ねん
)
じ
參
(
まゐ
)
らす。
大阪まで
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
確
(
たしか
)
に
驛
(
えき
)
の
名
(
な
)
を
認
(
みと
)
めたのは
最
(
も
)
う
國府津
(
こふづ
)
だつたのである。いつもは
大船
(
おほふな
)
で
座
(
ざ
)
を
直
(
なほ
)
して、かなたに
逗子
(
づし
)
の
巖山
(
いはやま
)
に、
湘南
(
しやうなん
)
の
海
(
うみ
)
の
渚
(
なぎさ
)
におはします、
岩殿
(
いはと
)
の
觀世音
(
くわんぜおん
)
に
禮
(
れい
)
し
參
(
まゐ
)
らす
習
(
ならひ
)
であるのに。
雨ふり
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
“逗子(逗子市)”の解説
逗子市(ずしし)は、神奈川県南東部の市。横須賀三浦地域に所在し、三浦半島の西側の付け根に位置する。
(出典:Wikipedia)
逗
漢検準1級
部首:⾡
11画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
“逗”で始まる語句
逗留
逗
逗留中
逗留客