えい)” の例文
けれども肝腎かんじん劉表りゅうひょうがそれを許さない。同じ漢室のえいではあるし、親族にもあたる玄徳を殺したら、天下に外聞が悪いというのである。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
且つげんえいなお存して、時に塞下さいかに出没するを以て、辺に接せる諸王をして、国中こくちゅうに専制し、三護衛の重兵ちょうへいを擁するを得せしめ、将をりて諸路の兵をすにも
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
伯爵鍋小路行平は正にういふ浅ましい連中の一人だ子。御堂関白の孫大納言公時きんときから二十一世のえいさきの権中納言時鐘ときかねの子が即ち今の伯爵鍋小路黒澄くろすみ卿である。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
戴曼公は書法を高天漪こうてんいに授けた。天漪、名は玄岱げんたいはじめの名は立泰りゅうたいあざな子新ししん、一のあざな斗胆とたん、通称は深見新左衛門ふかみしんざえもんで、帰化明人みんひとえいである。祖父高寿覚こうじゅかくは長崎に来て終った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
もちろん、違背いはいはいたしません。けれど、東国の草莽そうもうよりった古源氏ふるげんじえい、尊氏の寸心にも、ひとつの信条がござりまする。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みんの世を治むる、わずかに三十一年、げんえいなおいまだ滅びず、中国に在るもの無しといえども、漠北ばくほくに、塞西さいせいに、辺南へんなんに、元の同種の広大の地域を有して蹯踞ばんきょするもの存し
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
当時の生徒で、今名を知られているものは山路愛山やまじあいざんさんである。通称は弥吉やきち、浅草堀田原ほったはら、後には鳥越とりごえに住んだ幕府の天文かた山路氏のえいで、元治げんじ元年に生れた。この年二十三歳であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「では、新野しんやにおる玄徳は、同宗どうそうえいだし、わしの外弟おとうとにもあたる者。彼を請じて、大宴の主人役とし、礼をとり行わせたらどんなものだろう」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
既にして岡本氏の家衰えて、畑成文はたせいぶんに託してこのまきろうとした。成文は錦小路にしきこうじ中務権少輔なかつかさごんしょうゆう頼易よりおさに勧めて元本を買わしめ、副本はこれをおのれが家にとどめた。錦小路は京都における丹波氏のえいである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
中野氏の家系は、鎌倉執権代の長崎高資のえいとか。山口県での毛利氏研究には専門家以上の造詣ぞうけいのある人である。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや広言ではない。時代ときこそくだるが、わが柴家さいけは天子のえいだ。しかも証拠の丹書鉄券おすみつきも伝わっている」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何よりも高時の念願は、せっかく、北条九代のえいに生れたのだから、世の人々と共に世を愉しみ、与えられた身の生涯を一代おもしろく送りたかった……。そこが暗君か。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かつて、伊吹の城で、見とどけておりまする。家柄こそは、正しい源家のえいといえますが」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちんは、弱冠のときより関羽、張飛と刎頸ふんけいまじわりを結び、戎馬奔命じゅうばほんめいの中に生きること三十余年、ようやく蜀を定めて後、諸人は、朕が中山靖王ちゅうざんせいおうえいであるところから帝位に推しすすめ
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ああ、それでは……。越後にはなお、新田一族のえいが多くおられますか」
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ、熊本の野田家(武蔵の円明流の継承者で、細川藩の師範野田一渓いっけいえい)の子孫の家には、武蔵の遺品が種々残っていたが、その中に武蔵が画に使った雁刷毛がんばけがあったということである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この折に、改めて父からいう何事もない。ただ嫁ぐからには、女子は、良人のほか、何ものも頼るものはない筈である。父は、平貞盛がえい。いうまでもなく、都の太政入道殿とは、その流れを
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そこらの豪傑たちが、乱世に乗じて、一州一郡を伐取きりとりするような小さい望みとは違うはずです。漢の宗室の末孫、中山靖王のえいであるおまえが、万民のために、剣をとって起ったのですよ」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま、漢室のえいたる陛下が、仇を討つなら、魏をこそ討つべきで、その簒逆さんぎゃくの罪も正し給わず、呉へ戦いを向けられては、大義を知らず、小義にはやる君かなと、一世のもの笑いにもなりましょう。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり景帝の第七子中山靖王ちゅうざんせいおうえいは、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、土民に流落して、劉玄徳りゅうげんとくの両親の代には
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左平治の子孫は、後に紀州家に仕えて五千石の高禄をうけたといわれるが、鳥居強右衛門の子孫もまた、武州の忍侯おしこうに召し抱えられ、そのえいは徳川時代を通じていまも誰かの血液にあるはずである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここに巣を持つ天平の雀のえい
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)